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速水守久 : ミニ英和和英辞書
速水守久[はやみ もりひさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もり]
 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting 

速水守久 : ウィキペディア日本語版
速水守久[はやみ もりひさ]

速水 守久(はやみ もりひさ、生年不詳 - 1615年6月4日慶長20年5月8日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名豊臣氏の家臣。幼名は勝太。通称少太夫。名は他に時久・種久・時之・種之など。甲斐守。祖父速水實政。父速水時久、子に守治宗久保久貞久
==生涯==
はじめ近江国浅井郡の土豪であり(速水城)、浅井氏に仕えた。滅亡後にお市の方の子お茶々らの家臣として主従、羽柴秀吉に仕え、近習組頭、黄母衣衆となる。
小牧・長久手の戦い小田原征伐などに歴戦し、朝鮮出兵では肥前国名護屋城本丸広間番衆六番組頭を務めた。
平時には秀吉の身辺警護にも当たった。奉行として検地などにも活躍し、1万5000石を拝領、後に4万石まで加増された。
秀吉死後も秀頼に仕え、七手組頭兼検地(越前)奉行として活躍。旗本部隊の中核を担った七手組の筆頭となる。
慶長19年(1614年)、方広寺鐘銘問題が起こり、和平交渉に奔走した片桐且元が逆に内通を疑われるようになると、その調停に尽力する。結局且元は大坂城を退去させられ、その後も続いた豊臣家中の調停に努めた。
大坂冬の陣が始まると、鴫野の戦い上杉景勝の軍勢相手に奮戦。同様に夏の陣では天王寺の戦い真田信繁らと並んで藤堂高虎を蹴散らすなど活躍したものの、衆寡敵せず大阪城に退却した。
千姫教育係であった守久は千姫を無事に徳川陣屋に送り届けた。徳川家康に秀頼らの助命を嘆願するものの聞き入れられることはなく、自害する秀頼の介錯(毛利勝永とする説も)を務め、殉死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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