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紀元節祝典 : ミニ英和和英辞書
紀元節祝典[きげんせつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

紀元 : [きげん]
 【名詞】 1. (1) era 2. (2) A.D. (Christian era) 
紀元節 : [きげんせつ]
 (n) (historical) Empire Day
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [せつ, ぶし]
  1. (n-suf) tune 2. tone 3. knot 4. knob 5. point
祝典 : [しゅくてん]
 (n) celebration
: [のり]
 【名詞】 1. rule 2. law

紀元節祝典 ( リダイレクト:紀元節 ) : ウィキペディア日本語版
紀元節[きげんせつ]

紀元節(きげんせつ)は、古事記日本書紀日本の初代天皇とされる神武天皇即位日をもって定めた祭日。日付は2月11日1873年明治6年)に定められ、1948年昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止された。かつての祝祭日の中の四大節の一つ〔四大節は、旧制度の4つの祭日で、紀元節(2月11日)、四方節(1月1日)、天長節明治節を指す。〕。
この2月11日の日付は、日本書紀で神武天皇が即位したとされる紀元前660年神武天皇元年)1月1日 (旧暦)日本書紀によれば、神武天皇即位日は、辛酉年春正月、庚辰、日付は正月朔日、すなわち、1月1日 (旧暦)。(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」)〕の月日を、明治に入り新暦に換算したものである。紀元節廃止の後は復活の動きが高まり、1966年(昭和41年)に、2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となり翌年から適用された。(参考:主権回復の日
なお、現在の歴史学では、考古学上の確証がないことや、古事記日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇(古事記では137歳、日本書紀では127歳まで生存とある)が実在した人物かも含めて、その筋書きをそのままの史実であるとは考えられていない。
== 紀元節の制定まで ==
8世紀初めに編まれた『日本書紀』によれば、神武天皇の即位日は「辛酉年春正月、庚辰」であり、日付は正月朔日、すなわち1月1日となる。
しかし、明治5年11月15日1872年12月15日)、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め(明治5年太政官布告第342号)、同日には「第一月廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた(明治5年太政官布告第344号)。1873年1月29日は、旧暦太陰太陽暦天保暦)の明治6年1月1日をそのまま新暦太陽暦グレゴリオ暦)に置き換えた日付である。折柄、明治5年12月2日1872年12月31日)の翌日をもって明治6年1月1日(1873年1月1日)とし、新暦が施行されることになっていた。
1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。同年3月7日には、神武天皇即位日を「紀元節」と称することを定めた(明治6年太政官布告第91号)。なお、同年1月には、神武天皇即位日と天長節(天皇誕生日)を祝日とする布告を出している。
ところで、これらの太政官布告に先立って、明治5年11月9日(1872年12月9日)に出されていた太陽暦を施行する旨の太政官布告では、祭典等の日付は、旧暦の月日を新暦の月日として施行するものと定めていた(明治5年太政官布告第337号)。
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これは、祭典の執行日を新暦で固定し、毎年旧暦の月日から新暦の月日に換算する煩雑さを避けるための規定である。例えば、例年1月1日に新年を祝って行われる歳旦祭は、旧暦1月1日の新暦相当日ではなく新暦1月1日に行うということになる。
この規定の影響などもあって、紀元節は旧暦1月1日、すなわち旧正月を祝う祝日との誤解が国民のあいだに広まった。国民のこの反応を見て政府は、紀元節は神武天皇即位日を祝う祝日であるという理解が広まらないのではないかと考えた。また、1月29日では、孝明天皇の命日(慶応2年12月25日(1867年1月30日)、孝明天皇祭)と前後するため、不都合でもあった〔この不都合を回避するため、1873年明治6年)の「孝明天皇御例祭」(孝明天皇の命日の祭祀)は、1月23日と定められた。〕。
そこで、政府は、1873年(明治6年)10月14日、新たに神武天皇即位日を定め直し、2月11日を紀元節とした(明治6年太政官布告第344号)。
2月11日という日付は、文部省天文局が算出し、暦学者の塚本明毅が審査して決定した。その具体的な計算方法は明らかにされていないが、当時の説明では「干支に相より簡法相立て」としている。
干支紀年法は、後漢元和2年(ユリウス暦85年)に三統暦を廃止して以降は、60の周期で単純に繰り返すようになっている〔三統暦までは木星の運行を考慮する「超辰法」が用いられた。〕。神武天皇の即位年の「辛酉年」は『日本書紀』の編年(720年(養老4年)に成立)を元に計算すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦先発グレゴリオ暦)で紀元前660年立春に最も近い庚辰の日を探すと新暦2月11日が特定される。その前後では前年12月20日と同年4月19日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」にならない。したがって、「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日とした。なお、『日本書紀』はこの日が「」、すなわち新月の日であったとも記載しているが、朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないので、明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。なお、現代の天文知識に基づき当時の月齢を計算すると、この日〔天文学上の記法では−659年2月18日、ユリウス通日は1480407、ユリウス暦では紀元前660年2月18日となる。〕は天文上の朔に当たるが、これは天文上の朔にあわせるため、庚辰の日を即位日としたと考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「紀元節」の詳細全文を読む




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