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竹越三叉 : ミニ英和和英辞書
竹越三叉[たけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [み]
  1. (num) three 
三叉 : [みつまた]
 (n,adj-no) three-pronged (fork)
: [また]
 【名詞】 1. fork (of a road) 2. crotch (of a tree)

竹越三叉 ( リダイレクト:竹越與三郎 ) : ウィキペディア日本語版
竹越與三郎[たけこし よさぶろう]

竹越 與三郎(たけこし よさぶろう、慶応元年10月5日1865年11月22日) - 昭和25年(1950年1月12日))は、日本明治から戦前昭和にかけての歴史学者思想史家殖民学者・政治家衆議院議員枢密顧問官貴族院勅選議員宮内省臨時帝室編修局御用掛、同編修官長などを歴任し、戦後に公職追放指定を受け、一切の職を辞任。位階は正四位、勲等は勲一等三叉(さんさ)。
明治・大正・戦前昭和の3つの時代に渡り言論界をリード。日刊雑誌『世界之日本』主筆を皮切りに、「''世界の日本乎、亞細亞の日本乎''」〔世界の日本乎、亞細亞の日本乎 竹越三叉〕を以て自由帝国主義に根差した独自の文明論、文明史観を論じた。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
武蔵国本庄宿(現在の埼玉県本庄市)の酒造業清野仙三郎の次男として生まれ、新潟県中頸城郡で成長する。陸軍軍人の中村興麿は実弟。上京して中村敬宇に学び、明治14年(1881年)9月、慶應義塾に入学した〔同年9月1日の入社である。福澤研究センター編『慶應義塾入社帳 第2巻』慶應義塾、1986年、398頁。〕。
翌年、福沢諭吉から時事新報社への入社を薦められ、在学中から新聞に執筆し始める。
明治16年(1883年)に新潟県柏崎出身の伯父・竹越藤平の養子となる。この年、時事新報社に入社するが官民調和の論調に反発して翌年退職する。その後、小崎弘道の勧めで群馬高崎教会に住んで英語塾を開く。明治19年(1886年)8月、小崎弘道よりキリスト教洗礼を受ける。同年、前橋英学校の教員に招かれた。その後、『基督教新聞』や『大阪公論』の記者を務める。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「竹越與三郎」の詳細全文を読む




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