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珠留美 ( リダイレクト:珠瑠美 ) : ウィキペディア日本語版
珠瑠美[たま るみ]

珠 瑠美(たま るみ、1949年1月15日 - )は、日本の女優映画監督脚本家である〔キネ旬, p.436.〕〔キネ旬, p.248.〕〔Sharp, p.295.〕〔''珠瑠美''、''jlogos.com'', エア、2014年11月13日閲覧。〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年11月13日閲覧。〕〔年鑑, p.137-139, 153, 170, 180.〕〔キネ旬, p.4, 32, 43, 77, 124.〕〔''Rumi Tama'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年11月13日閲覧。〕〔''珠瑠美''・''珠ルミ''・''木俣瑠美''東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年11月13日閲覧。〕〔''珠瑠美''・''木俣瑠美''文化庁、2014年11月13日閲覧。〕〔''珠瑠美''KINENOTE, 2014年11月13日閲覧。〕〔''木俣瑠美''allcinema, 2014年11月13日閲覧。〕〔''珠瑠美''日本映画データベース、2014年11月13日閲覧。〕〔''珠瑠美''日本映画製作者連盟、2014年11月13日閲覧。〕〔''珠瑠美''日活、2014年11月13日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2014年11月13日閲覧。〕。出生名は小谷 瑠美(こたに るみ)〔〔〔〔〔、木俣堯喬との結婚後本名は木俣 瑠美(きまた るみ)〔。珠 るみ珠 ルミとクレジットされた作品もある〔。プロダクション鷹取締役、代表取締役を歴任した〔年鑑, p.227.〕〔年鑑, p.256, 258.〕。
== 人物・来歴 ==

=== 姉妹の女優 ===
1949年(昭和24年)1月15日、東京都世田谷区烏山町(現在の同区烏山)に生まれる〔〔〔〔〔。父は戦前に日活大将軍撮影所小道具係であり、戦後も東映東京撮影所連合映画撮影所で装飾部として活動した小谷春勇〔〔石割, p.76.〕(小谷春男〔、2014年11月13日閲覧。〕〔、2014年11月13日閲覧。〕〔椿姫 、日活、2014年11月13日閲覧。〕)、叔父が大映撮影技師渡辺公夫〔、2014年11月13日閲覧。〕〔、2014年11月13日閲覧。〕(1918年 - 1983年)〔、兄がのちに東映照明部に在籍しており〔、2歳下の妹がのちに女優なる谷身知子(1951年 - )である〔〔〔〔キネ旬, p.434.〕。
1964年(昭和39年)4月、府立十二中を前身とする伝統校であった東京都立千歳高等学校(2002年3月閉校)に入学する〔。二年次在学中の満16歳とき、1965年(昭和40年)9月に公開された独立系成人映画『裸女山脈』(監督川合茂貴)の主演に抜擢され、珠 るみとクレジットされて映画界にデビューした〔〔〔〔。同年11月に公開された可能かづ子主演作『禁じられた肌』(監督武田有生)でも助演、珠 ルミの表記でクレジットされている〔〔。1967年(昭和42年)3月、同高校を卒業した〔〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、珠についての言及はない〔田中, p.85-86.〕。デビューは1965年という黎明期といえる時期であるが、確かに田中が同書で同様に挙げている映画作家の作品には出演してはいない〔〔〔〔〔〔〔〔〔。デビューは早いが、年齢的には1967年デビューの谷ナオミ(1948年 - )、青山リマ(1949年 - )、真湖道代(1949年 - )、あるいは1968年(昭和43年)デビューの芦川絵里(1949年 - )と同世代である。1968年には、妹の谷身知子が「邦かほり」の名で美矢かほるの主演作『人生㊙劇場 壺あらそい』(監督小川欽也)に出演、同年には姉を負う形で映画界にデビューした〔。1969年(昭和44年)5月に公開された珠の主演作『情事のあと始末』(監督酒匂真直)には妹(邦かほり)も共演〔''情事のあと始末''六邦映画、2014年11月13日閲覧。〕、1970年(昭和45年)1月に公開された『性の売買』(監督葉山隣)では珠瑠美・邦かほりの二枚看板でポスター展開した〔''性の売買''、六邦映画、2014年11月13日閲覧。〕。
1971年(昭和46年)3月2日に公開された『好色痴女』に主演〔、同作の監督である木俣堯喬のプロダクション鷹に入社、同作で共演、すでに前年に「谷身知子」と改名して同社に入社していた妹とともに同社の専属女優になる〔〔。当時、同社の専属女優には、珠・谷姉妹のほか、芦川絵里、水城リカ(1943年 - )がいたが、芦川は同年7月に引退しており〔キネ旬, p.24.〕、水城もほとんどテレビ映画新藤兼人近代映画協会の劇場用映画に出演するようになっていた〔キネ旬, p.630.〕。同年11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、このとき珠は、インディペンデント系のプロダクション鷹の製作するほとんどの作品に主演するようになる〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。多く共演した妹の谷は、1973年(昭和48年)1月に公開された『日本性風俗史 淫ら絵巻』(監督木俣堯喬・和泉聖治)を最後に映画界から遠ざかっている〔。珠もまた、同年末に製作され翌1974年(昭和49年)1月に公開された『日本性風俗史 姦通』に主演したのを最後に、一時的に引退した〔。木俣堯喬もこの年の前半、ソビエト連邦(現在のロシア連邦)・東欧圏に旅に出ている〔シナリオ, p.78-82.〕。
珠が映画界に復帰したのは、1975年(昭和50年)2月19日に公開された、日活製作・配給による「日活ロマンポルノ」の一作『新・団地妻 売春グループ13号館』(監督西村昭五郎)への主演であった〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。珠は、同作により『団地妻 昼下りの情事』(1971年)に始まる「団地妻」女優に加わった〔。以降は、日活あるいはプロダクション鷹の製作する「日活ロマンポルノ」、プロダクション鷹が製作しジョイパック(現在のヒューマックス)系のミリオンフィルムが配給するいわゆる「ピンク映画」に数多く主演・助演した〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。珠は、1981年(昭和56年)11月に公開された、プロダクション鷹の製作、ミリオンフィルムの配給作品『復讐セックス 女が犯す』を監督し、映画監督に転身した〔〔〔〔〔〔〔。監督デビュー前の最後の出演作は、同年10月23日に公開された角ゆり子主演による日活製作のロマンポルノ『嗚呼!おんなたち 猥歌』(監督神代辰巳)への客演であった〔〔〔〔〔〔〔〔。このとき満32歳であった〔〔〔〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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