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美矢かほる : ミニ英和和英辞書
美矢かほる[みや かおる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 
: [や]
 【名詞】 1. arrow 

美矢かほる : ウィキペディア日本語版
美矢かほる[みや かおる]

美矢 かほる(みや かおる、1944年9月21日 - )は、日本の女優、元モデルである〔キネ旬, p.665.〕〔キネ旬, p.4, 7, 9, 26, 31, 43, 53, 61, 65, 87, 91-92, 105, 113, 115, 124.〕〔Cowie(1967), p.337, 339, 344, 353, 361, 364, 373, 391, 400, 408, 423.〕〔Cowie(1968), p.393, 411, 417.〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2014年9月17日閲覧。〕〔''Kaoru Miya'', インターネット・ムービー・データベース 、2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かほる''・''美矢かおる''東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かほる''、日本映画情報システム、文化庁、2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かほる''KINENOTE, 2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かほる''allcinema, 2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かおる''・''皆川和子''日本映画データベース、2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かほる''日活、2014年9月17日閲覧。〕〔''美矢かおる''デジタル・ミーム、2014年9月17日閲覧。〕。本名・初期芸名は皆川 和子(みながわ かずこ)〔〔。1965年(昭和40年)8月31日、成人映画痴情の密漁』(監督小川欽也)に本名で主演して映画界にデビュー、翌月には芸名に改称した〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。黎明期の成人映画を代表する女優のひとりとして知られる〔〔〔。
美矢 かおると表記されることもあるが〔〔、1948年(昭和23年)生まれの女優、美矢かおるとは別人である〔、2014年9月17日閲覧。〕〔美矢かおる 東京ニュース通信社、2014年9月17日閲覧。〕〔女性トピックス オフィスジョイ、2014年9月17日閲覧。〕。ひばり児童合唱団の設立者、皆川和子(1922年 - 2014年)とも、連続テレビ映画ウルトラマン』等に出演した皆川和子〔、2014年9月17日閲覧。〕〔、2014年9月17日閲覧。〕とも別人である。
== 人物・来歴 ==

=== 成人映画の時代 ===
1944年(昭和19年)9月21日、第二次世界大戦の末期に東京都向島区(現在の墨田区向島)に生まれた〔〔。6人姉弟の末子であった〔。
1963年(昭和38年)3月、新制高等学校を卒業、同年、大原簿記学校に進み、在学中に日商簿記1級の資格を取得している〔。同校卒業後は一般企業に勤務しながら、ファッションモデルの試験を受け、合格したという長身・大柄の女性である〔。1965年(昭和40年)8月31日に公開された大蔵映画の製作・配給による成人映画『痴情の密漁』(監督小川欽也)に本名の皆川 和子の名で主演、満20歳で映画界にデビューした〔〔。同年10月、日本テレビ放送網の社員ディレクターの佐藤雄三が「藤雄三」の名で監督した内田高子の主演作『可愛い悪女 このまま殺して』(製作藤プロダクション、配給大蔵映画)、および扇町京子の主演作『強烈な情事』(監督小川欽也)に助演、同2作以降、美矢 かほると名のった〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。翌11月には扇町京子の初監督作『やくざ芸者』に主演の志摩みはるとともに準主演として出演している〔〔〔〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子、香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、美矢の名は挙げられていない〔田中, p.85-86.〕。しかしながら美矢は、同様に黎明期のおもな脚本家・監督として挙げた人物のうち、小川欽也や福田晴一の最初期作に出演しており〔、2014年9月17日閲覧。〕、独立系成人映画の黎明期の女優であるといえる〔〔〔。当初は大蔵映画の専属であったが、デビュー翌年にはフリーランスになった〔。
1966年(昭和41年)9月、国映が香取環、松井康子、谷口朱里可能かず子飛鳥公子清水世津奈加公子桂奈美、橘桂子といった成人映画スター女優を結集した『悲器』(監督湯浅浪男)を公開、美矢もこれに出演した〔〔〔。1968年(昭和43年)には、まだ日活ロマンポルノ(1971年 - 1988年)を開始していなかった日活がいくつか成人映画に触手を伸ばしており、児井英生青山プロダクションが製作した『女浮世風呂』(監督井田探、脚本山崎巌)に林美樹辰巳典子、清水世津、大月麗子谷ナオミ乱孝寿、内田高子、火鳥こずえらとともに出演、同じく『ある色魔の告白 色欲の果て』(監督江崎実生、脚本山崎巌)に乱孝寿、林美樹、高月絢子、火鳥こずえ、辰巳典子、清水世津、橘桂子、大月麗子、高鳥和子真湖道代らとともに出演、それぞれ同年7月10日、同年8月14日に公開された〔〔〔〔。1969年(昭和44年)5月1日に公開された『深い欲望の谷間』(監督沢賢介)は、独立系成人映画界初の「オールカラー映画」として知られるが〔本地, p.3.〕、これにも美矢は出演している〔。1970年(昭和45年)8月に公開された『叛女・夢幻地獄』、1971年(昭和46年)8月4日に公開された『噴出祈願 十五代の売春婦』と、足立正生の監督作2作に出演している〔。とくに後者では、公開時に満26歳であったにも関わらず、満15歳の高校生の長男を持つ母親の役を演じた〔〔噴出祈願 15歳の売春婦 (表題誤記)、日本映画データベース、2014年9月17日閲覧。〕。当時、専門誌成人映画』の編集長であった川島のぶ子は、「気っぷのよさが人気の秘密」であり、「女子高生から悪女役、時代劇と幅広くこなし、ヴェテランの風格があった」と評する〔。
1972年(昭和47年)5月に公開された『淫らな女王蜂』(監督小川欽也)に主演した記録が残っているが〔〔〔、同作以降の劇場用映画、テレビ映画ともに出演歴が見当たらない〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。ただしこの時期の作品記録が掲載されている『映画年鑑 1973』において、独立系の映画作品については監督名や製作・配給会社名以外記載されておらず、この時期の出演者が概して不明である〔年鑑, p.137-139, 154-155, 173, 182.〕。『日本映画俳優全集・女優編』の川島のぶ子の記述によれば、地方で実演ショーに出演したのを最後に、同年に引退したという〔。満28歳であった〔〔。以降の消息は知られておらず、存命であれば2014年(平成26年)には満70歳である〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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