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無季 : ミニ英和和英辞書
無季[むき]
(n) (haiku) lacking seasonal references
===========================
: [む]
 【名詞】 1. nothing 2. naught 3. nought 4. nil 5. zero
無季 : [むき]
 (n) (haiku) lacking seasonal references
: [き]
 【名詞】 1. season 2. season word or phrase (in haiku) 
無季 ( リダイレクト:無季俳句 ) : ウィキペディア日本語版
無季俳句[むきはいく]

無季俳句(むきはいく)は、季語を持たない俳句のこと。また季語はあっても季感(季節の感じ)を持たない俳句や、季語の有無を問わず詩感(ポエジー)を第一義とする俳句を含めることもある〔宮坂静生 「無季俳句」 『現代俳句大事典』 548-549頁。〕〔川名大 「無季俳句」 『俳文学大辞典』 891-892頁。〕。「無季」に対し、句が季語・季感を持つことは「有季」(ゆうき)という〔復本一郎 「有季」 『現代俳句大事典』 586-587頁。〕。
無季の問題は江戸期松尾芭蕉の時代から議論されてきた難題であった〔。近世に成立した俳諧(俳諧連歌)においては、連歌の約束事を継承し、発句(ほっく。最初の五七五の句)には必ず季語を入れるべきものとされる一方、連句の座を離れた場においては無季の発句もしばしば作られていた。近代になって独立した発句を俳句と呼ぶようになるが、「ホトトギス」を長く主宰した高浜虚子は、花鳥諷詠を俳句の本質として唱えて無季俳句を排斥し、俳句は季語を含むべきものとする伝統俳句の考えを普及させた。
近代俳句史においては、無季の問題は明治末期から大正期にかけての新傾向俳句運動昭和初期の新興俳句運動、昭和30年代の前衛俳句運動という三つの俳句革新運動において提示され、時代ともに深まりを見せている〔〔。今日の俳壇においても、無季俳句に対する立場は個々の俳人や結社・師系などにより様々である。
== 近世俳諧における無季(雑) ==
俳句俳諧(俳諧連歌)の発句が独立して読まれるようになったことから成立した形式であるが、鎌倉時代に成立した連歌においては、発句には必ず季語(季の詞)を入れるべきものとされていた〔暉峻桐雨 「近世の無季俳句」 『無季俳句の遠心力』 94頁。〕。例えば二条良基の連歌書『連理秘抄』(1349年頃成立)には、「発句に時節の景物そむきたるは返々(かへすがへす)口惜しき事也」と、発句に当座の季節に合わない句を用いることを戒める言葉が記されている〔坪内稔典 「季節と俳句 ―無季俳句総論」 『無季俳句の遠心力』 75頁。〕。しかし発句以外の部分では一定の式目(ルール)に従って無季の句を詠むことが可能であった。このような無季の句は「雑(ぞう)の句」と呼ばれ、例えば百句で成立する形式の「百韻」では、全体のほぼ半数が雑の句によって占められるのが普通であった〔暉峻桐雨 「近世の無季俳句」 『無季俳句の遠心力』 94頁。〕。
連歌の発句において季語が求められたのは、これらが「座」の文芸であり、当季の季語を用いて句を作ることが、その席で作られた句であることを示す当意即妙性の証と見なされたからである〔。近世になって、連歌では用いられない漢語や俗語(俳言(はいごん)と呼ばれた)を使用した俳諧連歌が成立するが、以上のような連歌の決まりごとは俳諧連歌においても継承され、発句において無季の句が詠まれることは非常に稀であった〔暉峻桐雨 「近世の無季俳句」 『無季俳句の遠心力』 95頁。〕。一方、芭蕉の時代から俳諧連歌の興行とは独立して発句のみを作ったり鑑賞したりすることが行われるようになり、このような発句においては必ずしも多くはないものの無季の句が作られている。芭蕉の門人・向井去来の著書『去来抄』では、門人・卯七からの「蕉門に無季の句興行侍るや」(蕉風では無季の句を発句とした俳諧連歌の興行は行われますか)との質問に対し、去来は次のような返答をしたと記されている〔。
芭蕉の無季の発句は後掲するものを含む9句が知られている〔。のちに芭蕉の門人の一人であった広瀬惟然は、無季の発句を当然あるべきものと主張し、『二葉集』『花の雲』『当座仏』などで自身の門人とともに無季の発句を多数発表した。しかし奇矯な作風に流れたことが災いしその主張も広く受け入れられることはなく、以後近世中には無季の句をめぐる運動は起こらなかった〔潁原退蔵 「季の問題」 『俳句周辺』 17頁。〕。
以下、近世俳諧における無季の発句の例を挙げる。

歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 松尾芭蕉
世にふるもさらに宗祇のやどりかな   同  
油さし油さしつつ寝(い)ぬ夜かな 上島鬼貫
歌書よりも軍書にかなし吉野山 各務支考
水さつと鳥よふはふはふうはふは 広瀬惟然
襟にふく風あたらしきこゝちかな 与謝蕪村
亡き母や海見る度(たび)に見る度に 小林一茶


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「無季俳句」の詳細全文を読む




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