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源頼定 : ミニ英和和英辞書
源頼定[みなもと の よりさだ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 

源頼定 : ウィキペディア日本語版
源頼定[みなもと の よりさだ]
源 頼定(みなもと の よりさだ、貞元2年(977年) - 寛仁4年6月11日1020年7月4日))は、平安時代中期の公卿村上源氏村上天皇の第四皇子一品式部卿為平親王の次男。官位正三位参議
==経歴==
頼定の父・為平親王は冷泉天皇のすぐ下の同母弟であったが、母の中宮安子・外祖父の師輔を早くに失った上、舅の高明外戚として勢威を振るうのを恐れた藤原氏によって、冷泉天皇皇太弟には為平親王を飛び越えての同母弟・守平親王(のちの円融天皇)が選ばれたため、失意の日々を送った不運の皇族である。為平親王の子息は一斉に臣籍降下、頼定はその次男である。
永祚2年(990年従四位下に初叙され、正暦3年(992年弾正大弼に任ぜられる。正暦4年(993年昇殿中関白家と親しく、長徳2年(996年)4月24日、内大臣伊周中納言隆家が左遷された際、これに連座して勅勘を蒙る。間もなく許されたらしく、長徳4年(998年)には右近衛中将任官している。長保3年(1001年従四位上左近衛中将に叙任。寛弘2年(1005年蔵人頭。寛弘6年(1009年参議として公卿に列す。
参議昇進以降三条朝にかけて伊予権守を兼官するにとどまる(大鏡によると東宮時代の三条天皇の尚侍、藤原綏子と通じていた影響もあり三条天皇在位中は昇殿が許されていなかったためという)。
後一条天皇即位した長和5年(1016年)には従三位次いで正三位に続けて昇叙される。後一条朝では議政官として勘解由長官左兵衛督検非違使別当を兼ねた。寛仁元年(1017年)末頃より体調を崩し〔『小右記』〕、寛仁4年(1020年)6月8日に病気(腫瘍)のため出家〔『公卿補任』〕、同11日に薨去。享年44。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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