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源為義 : ミニ英和和英辞書
源為義[みなもと の ためよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [ため]
 【名詞】 1. good 2. advantage 3. benefit 4. welfare 5. sake 6. to 7. in order to 8. because of 9. as a result of 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

源為義 : ウィキペディア日本語版
源為義[みなもと の ためよし]

源為義(みなもとのためよし)は、平安時代末期の武将。祖父が源義家、父は源義親。叔父の源義忠暗殺後に河内源氏の棟梁と称す。なお父は源義家で、源義親と義忠は兄にあたるという説もある。通称は六条判官陸奥四郎
当初は白河法皇鳥羽上皇に伺候するが度重なる不祥事で信任を失い、検非違使を辞任する。その後、摂関家藤原忠実頼長父子に接近することで勢力の回復を図り、従五位下左衛門大尉となって検非違使への復帰を果たすが、八男の源為朝の乱行により解官となる。保元の乱において崇徳上皇方の主力として戦うが敗北し、後白河天皇方についた長男の源義朝の手で処刑された。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
永長元年(1096年)、源義親の四男として生まれる〔『尊卑分脈』の記載から源義親の四男とする見解が一般的であるが、佐々木紀一は『尊卑分脈』成立以前の中世系図(北酒出本『源氏系図』、長楽寺本『源氏系図』、妙本寺『源家系図』、『佐竹家系譜』)や藤原忠実の日記『殿暦』天仁2年2月17日条の「義家朝臣四郎男為義」の文言などから、為義は義家の四男であったとする説を提唱している(「源義忠の暗殺と源義光」『山形県立米沢女子短期大学紀要』45、2009年)。〕。『尊卑分脈』の為義傍注によれば、父の義親が西国で乱行を起こしたため、祖父・源義家は三男・義忠を継嗣に定めると同時に、孫の為義を次代の嫡子にするよう命じたという。この記述に従えば、幼少の為義は叔父の義忠や祖父の義家と共に京にいたと思われる〔『尊卑分脈』によれば義親の男子は、為義を含めて6人いる。義親の正室は肥後守・高階基実の娘であるが、義父の基実は義親の乱行により肥後守を罷免され、贖銅の刑を科された。角田文衛は、義信(長男)・義俊(次男)・義泰(三男)・義行(五男)がそれぞれ対馬太郎・対馬次郎・対馬三郎・対馬四郎の呼び名を持つことから、この4人が正室所生の同母兄弟で、為義は庶子だったのではないかと推測している。為義の母の項目には「同義国、中宮亮有綱女」とあるが、これは義家の妻(義国・義忠の母)が為義を養育していたことを示すものと考えられる(角田文衛「源為義の母」『王朝の明暗-平安時代史の研究 第2冊』東京堂出版、1977年)。また、為義を義家の四男とする説(佐々木紀一「源義忠の暗殺と源義光」『山形県立米沢女子短期大学紀要』45、2009年)を採るならば、「同義国、中宮亮有綱女」の記述は養母ではなく実母ということになる。〕。
嘉承元年(1106年)に義家が死去すると義忠が家督を継ぐが、天仁2年(1109年)に暗殺された(源義忠暗殺事件)。義忠の叔父・源義綱一族が嫌疑を受けて追討の対象になると〔『尊卑分脈』の義忠傍注によれば義綱は冤罪であり、真犯人は義綱の弟の義光とされる。〕、義忠の嫡男・経国が幼少であったため、為義は美濃源氏源光国と共に追討使に起用され、義綱を捕縛して京へ凱旋した。この功により、為義は14歳で左衛門少尉に任じられた。
初期の為義は院との関係が深く、摂関家と懇意だった様子はない。『愚管抄』には白河法皇が「光信、為義、保清の三人を検非違使に任じ、即位したばかりの鳥羽天皇を警護させた」とあり、永久の強訴保安4年(1123年)の延暦寺の強訴では平忠盛と並んで防御に動員されるなど、院を守護する武力として期待されていたことが分かる。為義の最初の妻も白河院近臣・藤原忠清の娘で、長男の義朝を産んでいる。保安5年(1124年)頃には検非違使に任じられた。しかし、同い年で任官もほぼ同時だった忠盛が受領を歴任したのに対して、為義は一介の検非違使のまま長く留め置かれ、官位は低迷することになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「源為義」の詳細全文を読む




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