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源清麿 : ミニ英和和英辞書
源清麿[みなもと きよまろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
麿 : [まろ]
 【名詞】 1. (1) (arch) you 2. (2) (person having) thin or shaved eyebrows

源清麿 : ウィキペディア日本語版
源清麿[みなもと きよまろ]
源 清麿(みなもと きよまろ、文化10年3月6日1813年4月6日) - 嘉永7年11月14日1855年1月2日))は江戸時代後期に活躍した刀工である。本名は山浦 環(やまうら たまき)。初銘は正行、ついで秀寿。兄は刀工の山浦真雄水心子正秀大慶直胤と並び「江戸三作」と称された名工。波乱に富んだ人生を送ったことから、新々刀期の刀工の中でも人気が高い。
師匠である旗本の兵学者・窪田清音(くぼたすがね)より「清」の一字をもらう。本来は「すがまろ」と言うが、現在は「きよまろ」で広く名が通っているため本稿でも「きよまろ」と記す。
==概要==

文化10年(1813年)、信濃国小諸藩赤岩村(現東御市)の名主山浦昌友の次男として生まれ、刀工を目指した兄真雄とともに上田藩工の河村寿隆に刀工の技を学ぶ。武士を志して真田幸貫の斡旋で江戸に上り幕臣の軍学者で剣術家でもある窪田清音の門を叩くが、のちに刀工として評価した清音の後見で、清音の屋敷内に鍛冶場を設け修行し、作刀に専念する。
天保13年(1842年)、清音の尽力により一人三両掛け百振りの刀剣講「武器講一百之一」を依頼されるが一振り目を完成させたところで出奔し、
その年の暮れに長州に現れ2年間をすごした後、江戸に戻り清音に罪を詫びたということが長い間定説となっていたが、村田清風記念館の文書から、清麿が村田清風や他の長州藩士に当てた、花押、黒印が入った清麿自筆の炭、鋼代金などの受取状が発見された点、〔佳兆58号 『おれは清麿』刊行に寄せて(山本兼一氏) http://www.mugenkan.com/katyo/katyo_058.html〕
清麿が江戸から消えた時期が、御納戸頭の職位にあった窪田清音が天保の改革の原案作成をめぐり羽倉簡堂と論争を起こし、水野忠邦によって御役御免となって間もない時期である点、長州藩が天保11(1840)年より着手した藩政改革の一環として、武術や武器製作技術の向上のため、他藩より剣槍術師を積極的に招聘していた点から、清麿は窪田清音を通じて藩改革の中心人物だった村田清風から一時期に招かれ、で作刀することになった説が有力になったとの説も唱えられている。〔佐野美術館「生誕200年 清麿展」 http://www.sanobi.or.jp/exhibition/kiyomaro_2013/ 〕
萩で2年間をすごした後、江戸に戻り、重要美術品に認定されている「(表)為窪田清音君 山浦環源清麿製(裏)弘化丙牛年八月日」の銘がある2尺6寸の豪刀を恩人である清音に贈っている。清麿の作品の魅力として、地鉄の面白さと、刀文の躍動感を言う人が多い。
四谷北伊賀町(現在の新宿区三栄町の一部)に定住したことから「四谷正宗」の異名をとった。
嘉永7年(1854年)11月14日、42歳で自害。
墓所は新宿区須賀町の宗福寺。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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