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梅隠祐常 : ミニ英和和英辞書
梅隠祐常[うめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality

梅隠祐常 ( リダイレクト:惟成親王 ) : ウィキペディア日本語版
惟成親王[これなりしんのう]

惟成親王(これなりしんのう)は、南北朝時代から室町時代にかけての南朝皇族禅僧後村上天皇第三皇子であり、長慶天皇後亀山天皇の弟と推定される。官位二品中務卿。後に出家して、道号梅隠(ばいいん)、法諱祐常(ゆうじょう)という。近年の小川剛生の研究によれば、南朝末期に後亀山天皇の東宮(皇太弟)に立ち、南北朝合一後に護聖院宮家を興して、その初代親王になったとする説が有力である〔小川剛生 「伏見殿をめぐる人々 ―『看聞日記』の人名考証―」(森正人編 『伏見宮文化圏の研究 ―学芸の享受と創造の場として―文部省科学研究費補助金研究成果報告書、2000年)〕。護聖院宮の項目も参照のこと。



== 経歴 ==
親王宣下を蒙り、文中3年/応安7年(1374年)三品に叙されたというが〔『南方紀伝』〕、具体的な経歴は不明。天授元年/永和元年(1375年)には大宰帥弘和元年/永徳元年(1381年)には式部卿であり、程なく二品中務卿に至った。元中9年/明徳3年(1392年南北朝合一の際に帰洛した南朝君臣らの中に見える「三宮、御鎧直垂」〔『南山御出次第』〕とは、惟成親王のことであろう。応永10年(1403年)頃までに出家し〔応永10年頃に在庵普在の弟子の手で編まれた漢詩集『雲巣集』に作者として「梅隠」の名が見える。〕、臨済宗法燈派に属して梅隠祐常と号する。初め鎌倉へ下向して書記の職を掌り(寿福寺か)、後に上洛して建仁寺に一時在籍したが、やがて美濃へ下向して霊薬山正法寺の信中自敬に師事し、寺内に「樵斎」を構えて隠居した〔『梅花無尽蔵』第6-59「樵斎記」。「樵斎」とは、のように世俗を離れた隠者の庵室という意の名称。〕。応永30年(1423年3月3日薨去〔富岡本『新葉和歌集』奥書〕。
南朝歌壇では、自邸で探題歌会を主催した他、天授元年(1375年)の『五十番歌合』『五百番歌合』に出詠した。『新葉和歌集』には6首が入集する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「惟成親王」の詳細全文を読む




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