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東海散士 : ミニ英和和英辞書
東海散士[とうかい さんし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東海 : [とうかい]
 【名詞】 1. region south of Tokyo on Pacific Ocean side of Japan 2. eastern sea 

東海散士 : ウィキペディア日本語版
東海散士[とうかい さんし]

東海 散士(とうかい さんし、1853年1月11日嘉永5年12月2日) - 1922年大正11年)9月25日)は、明治から大正にかけての政治家小説家。本名は柴四朗安房国千葉県)の出身。台湾軍司令官東京衛戍総督柴五郎は弟。
== 生涯==
富津にあった会津陣屋(現富津八坂神社の所在地)に生まれる。
藩校日新館で学び、少年期に会津藩士として戊辰戦争に兄の柴謙介と共に従軍。のちに東京で謹慎生活を送り、赦免後も東京で勉学に励むが、学費の問題から国内を点々とする。1877年(明治10年)、別働隊として参戦した西南戦争において熊本鎮台司令長官・谷干城に見出され、27歳のとき岩崎家の援助を受けてアメリカに留学し、ペンシルベニア大学及びパシフィック・ビジネス・カレッジを卒業して、1885年(明治18年)に帰国。同年、持論である「国権伸長」論を基調とするナショナリズム小説『佳人之奇遇』初版を東海散士の名で発表した。それ以後、1897年(明治30年)まで8編を刊行している。著書として『東洋之佳人』『埃及近世史』などがある。大阪毎日新聞の初代主筆でもあった〔松下芳男『日本軍事史説話』土屋書店、284頁〕。
乙未事変に関与し、収監されたが裁判では無罪となった〔『手作り会津史』「伊豆熱海の柴四朗」〕。
政治家としては、1892年(明治25年)以降福島県選出(進歩党憲政本党)など衆議院議員として活躍し、10回当選している。農商務次官外務参政官などを歴任し、条約改正反対運動に尽力した。
政界引退後は、悠々自適の生活を送り、1922年(大正11年)に、熱海の別荘で死去(満69歳没)。
1887年ハンガリーコッシュート・ラヨシュを訪問した〔『ハンガリーの歴史』65頁(南塚信吾著/河出書房新社2012年発行)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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