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札幌農学校第2農場 : ミニ英和和英辞書
札幌農学校第2農場[さっぽろのうがっこうだいにのうじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふだ]
 【名詞】 1. (1) token 2. label 3. (2) ticket 4. card 5. (3) charm 6. talisman 
: [のう]
 【名詞】 1. farming 2. agriculture 
農学 : [のうがく]
 (n) agriculture
農学校 : [のうがっこう]
 (n) agricultural school
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学校 : [がっこう]
 【名詞】 1. school 
: [こう]
  1. (n,n-suf) -school 2. proof
: [だい]
 (n,pref) ordinal
農場 : [のうじょう]
 【名詞】 1. farm (agriculture) 
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 

札幌農学校第2農場 : ウィキペディア日本語版
札幌農学校第2農場[さっぽろのうがっこうだいにのうじょう]

札幌農学校第2農場(さっぽろのうがっこうだいにのうじょう)は、北海道札幌市北海道大学構内にある施設。ウィリアム・スミス・クラークの大農経営構想に基づき、明治時代に建てられた木造の畜舎などの建築物群が位置する。また、施設は「模範的畜舎」を意味する「Model Barn(モデルバーン)」という名称でも知られる。一部建造物は内部が一般公開され、北海道開拓時代の農具など展示されている数々の資料を無料で見学することが可能である。
1969年に農場の建造物9棟が国の重要文化財に指定された。官報に告示された指定名称は「北海道大学農学部(旧東北帝国大学農科大学)第二農場」となっているが、北海道大学では由来を明確にする目的や、当時の文化庁によって現在地へ移転され建設当初の姿に復元されていることなどから札幌農学校第2農場の名称を用いている。さらに、2001年には北海道遺産にも登録された。所在地は北海道札幌市北区北19条西8丁目。
== 沿革 ==
札幌農学校第2農場の歴史は、北海道で農業が始まった19世紀末頃が始まりである。開拓がまだ十分になされていなかった北海道における殖産興業の方針を決めるため、北海道開拓使次官を務めていた黒田清隆1871年アメリカ合衆国へ渡った。当時は江戸時代の終わり頃より開始されたロシア南下政策が背景にあり、渡米し海外の技術者の援助を募る目的があった。
その後アメリカ農務局の局長を務めていたホーレス・ケプロンや、地質鉱山学者であったT・アンチセルをはじめとする一団が日本に訪れ、北海道を3年ほど調査したのち、開拓の方法には畜力・機械を用いた畑作や畜産がよいと提案した。黒田清隆はもっぱら稲作を中心に生活してきた入殖者達にこうした案を受け入れさせる目的でエドウィン・ダンらを現在の農業試験場に、札幌農学校にはマサチューセッツ州立農科大学の学長を務めていたウィリアム・スミス・クラークやW・M・ホイーラー、W・P・ブルックス、D・P・ペンハローを中心とするお雇い外国人を北海道に招いた。
1876年に札幌農学校の教頭に迎えられたクラークは、実践を中心とした農業教育を提唱し、当時は「札幌官園」という名で機能していた土地一帯を「農黌園(のうこうえん)」として移管、実践農場としての利用が開始された。この農黌園という名称は「College Farm」の日本語にしたものである。園内は2つの区域に分けられ、学生の農業教育の研究を対象とした「第1農場」が現在の北海道大学南門周辺に、そして畜産の経営を実践する農場としての役割を担った「第2農場」が現在の大型計算機センターと環境研が位置する場所一帯に建設された。
この第2農場では、それまで日本人になじみの無かった酪農・畜産経営を実践できる実習施設として機能し、外国種の家畜・牧草や畜力農機具、さらにはマサチューセッツ州立農科大学にならって産室・追込所・耕馬舎を建設した。この建造物はクラークにより「Model Barn」と記載され、日本語でも「札幌農学校模範家畜房」と名づけられた。この名称はクラークの北海道農業の模範となるようにとの願いが込められたもので、建物群が象徴的であることもあり、後になって第2農場の建物群そのものを指すようになった。
モデルバーンは1877年秋に完成。北海道大学内の記念建造物の中では最も古く、バルーンフレーム構造ツーバイフォー方式の工法を用いて造られた洋風の農業建築は国内においても珍しいものである。そのほかにも、W・ブルックスが設計にあたったとされる「第2農場玉蜀黍庫(穀物庫)」も1877年に建築され、こちらは「Corn Barn(コーンバーン)」と呼ばれた。1889年には日本で最初と推定されている乳牛ホルスタイン種が導入されるなど、農場は北海道における畜産や酪農が普及する中心となり、日本へ畜産を導入した施設としては成田御料牧場における技術導入と並ぶ国内畜産の発祥の地とも言われている。
その後札幌農学校は帝国大学へ昇格することとなり、現在の札幌時計台が位置する場所周辺から校舎を第1農場があった場所へと移動した。これを受けて、1910年に第2農場はその規模の縮小を余儀なくされ、建物は現在の位置へと移動された。移設後はさらに畜舎を新設、これは当時最も新しい農業技術であったサイロ付きの畜舎だった。また、1965年より農場の近代化整備が始まり、より西の位置へと移動された。この新しい第2農場は「北海道大学農学部附属農場第2畜産部」として機能し、1967年の移動により終了するまで畜産研究が行われていた。
1969年8月19日、近代化整備により使い道のなくなった建物群はその貴重な建築様式や北海道における畜産の発祥の地であることが考慮され、国の重要文化財に指定された。その後当時の文化庁により保存に向けた解体や改修工事が行われ、明治時代の初めごろから使用されていた外国の輸入農業器具などを保管して建物の管理を行った。以降は閉鎖管理が続いたが、2000年1月に行われた北海道大学の評議会で、文化的価値のある建築物群や畜産資料をより多くの人々へ広めることを目的とし、期間を設けてモデルバーンとコーンバーンのみ建物内部の一般公開を行うことを決定した。また、2001年10月22日には第1回選定分の北海道遺産登録を受けた。
2015年3月に耐震改修工事が竣工した〔「北海道大学札幌農学校第2農場」札幌市:北海道遺産シリーズ(24) 北海道Likers (2015年10月18日閲覧)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「札幌農学校第2農場」の詳細全文を読む




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