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本多正信 : ミニ英和和英辞書
本多正信[ほんだ まさのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

本多正信 : ウィキペディア日本語版
本多正信[ほんだ まさのぶ]

本多 正信(ほんだ まさのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将大名徳川家康の重臣で、江戸幕府老中相模国玉縄藩主。正信系本多家宗家初代。本姓藤原氏
徳川家康が抱える鷹匠から身を興したが、三河一向一揆に与して鎮圧後に三河を出奔。一時松永久秀に仕えた後に10年以上を流浪の身として送る。後に許されて家康のもとへ帰参し、以後はその知略をもって重用され、江戸開府後は家康、2代将軍秀忠の最側近として幕政の中枢にあり絶大な権勢を振るった。
== 生涯 ==

=== 反逆から流浪 ===
天文7年(1538年)、本多俊正の次男として三河で生まれる。はじめ鷹匠として徳川家康に仕えた。桶狭間の戦いの際に今川義元の命で丸根砦を攻める家康に従い、その合戦において膝に傷を負って以来足を引きずるようになったという(『佐久間軍記』)。しかし永禄6年(1563年)、三河一向一揆が起こると、一揆方の武将として弟と共に家康に敵対した。そして一揆衆が家康によって鎮圧されると、徳川氏を出奔して大和松永久秀に仕えた。久秀には重用されたようであるが、やがて久秀のもとを去って諸国を流浪する。
流浪の間、正信がどこで何をしていたのかは定かではない。有力説では加賀国に赴いて石山本願寺と連携し、織田信長と戦っていたともされている(『藩翰譜』)。こうして諸国を流浪した末、旧知の大久保忠世を通じて家康への帰参を嘆願した。やがて忠世の懸命のとりなしによって無事に徳川氏に帰参することとなった。帰参時期は諸説あって定かではない。早ければ姉川の戦いの頃、最も遅くとも本能寺の変の少し前の頃には正式に帰参が叶っていたようである〔隆慶一郎は帰参時期の不詳さを逆手に取り、小説『影武者徳川家康』では伊賀越えの途中で帰参した事にしている。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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