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戸川安道 : ミニ英和和英辞書
戸川安道[とがわ やすみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 

戸川安道 : ウィキペディア日本語版
戸川安道[とがわ やすみち]
戸川 安道(とがわ やすみち、天保14年(1843年)-明治5年1月29日1872年3月8日)は、江戸時代幕臣旗本)。通称は、熊次郎のち捨次郎。
== 経歴==

先代・安行の子として生まれ、安政2年(1855年により家督相続
相続当初は、天災疫病に苦しめられた。相続直後に江戸屋敷が安政の大地震で建物の全てが大破。安政3年(1856年)6月、旱魃のため知行地内の竜王宮鍋森宮に対し乞い祈祷をするよう御触書を出している。安政4年(1857年)も知行地内で2月に風邪流感)が蔓延、さらに6月から9月は旱魃と暴風雨に遭うなど天災に見舞われたため、安政6年(1858年)家臣・片岡藤左衛門伊勢神宮代参するよう命じている。しかし、この年から翌安政7年(1859年)までコレラの大流行、万延元年(1860年)のの不作などがおこっている。
安政4年(1857年)11月、先代・安行が貸付による利益を目論み始めさせた会所札(旗本札)が1394両の債務超過となり札潰れ(発行停止)となったため、札の引き揚げのため知行地内の有力農民商人65名から融資上納金を強要して引当金にしたが、知行地内の通貨が不足し流通の妨げとなり経済の停滞を招いた。会所札の失敗について、研究者は早島知行地周辺の岡山藩札・庭瀬札・宮内藤井札の札潰れによる藩札銀札に対する不信感と引当金の準備不足を指摘している。
安政5年(1858年)2月、士分溝手九七郎世話役に命じて郷校・時習館を創設し、家臣のみならず庶民にも解放した。
文久3年(1863年)8月29日から9月5日まで江戸昌平橋警護役、同年12月市川番所の警護役を務めた。
慶応元年(1865年)2月の長州征伐病気出陣できず、隼人を代わりに出陣させる。
慶応4年(1868年)正月、国元の重臣・数田佐平太たち3人に岡山にいる岡山藩家老伊木忠澄らに領地を預ける証書と知行地内の石高と年貢を書き上げた文書(高物成書上)を提出させた。同年3月12日弟の隼人に命じて京都太政官へ御用を勤める意志を記した懇願書と岡山藩主の添書とともに提出させた。同年5月、本領安堵・下太夫に任命される。同年6月一族らと共に早島へ移住した。
同年8月隠居し、跡目は養子隼人が継いだ。
明治5年1月29日没。

やすみち


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸川安道」の詳細全文を読む




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