翻訳と辞書
Words near each other
・ 戸川安民
・ 戸川安泰
・ 戸川安清
・ 戸川安熈
・ 戸川安章
・ 戸川安章 (旗本)
・ 戸川安章 (民俗学者)
・ 戸川安精
・ 戸川安聡
・ 戸川安行
戸川安論
・ 戸川安貞
・ 戸川安通
・ 戸川安道
・ 戸川安長
・ 戸川安風
・ 戸川幸夫
・ 戸川忠昶
・ 戸川昌子
・ 戸川村由


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

戸川安論 : ミニ英和和英辞書
戸川安論[とがわ やすとも]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ろん]
 【名詞】 1. (1) argument 2. discussion 3. dispute 4. controversy 5. discourse 6. debate 7. (2) theory 8. doctrine 9. (3) essay 10. treatise 1 1. comment

戸川安論 : ウィキペディア日本語版
戸川安論[とがわ やすとも]
戸川 安論(とがわ やすとも〔『徳川幕臣人名事典』によれば「やすとき」。『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』によれば「やすのぶ」。〕、宝暦12年(1762年〔『徳川幕臣人名事典』によれば宝暦11年生。〕) - 文政4年3月23日1821年4月25日))は、江戸時代幕臣旗本)。知行400のち500石。官位は筑前守。通称は、内記のち藤十郎。
医家・曲直瀬正山の次男として生まれる。安永6年(1777年)に戸川安精の養子となり、同年、安精が死去したため跡目相続した。
天明2年(1783年)、御小納戸となり、同年、布衣の着用を許される。享和元年(1801年)、御小納戸頭取。この頃、従五位下に叙され、筑前守を名乗る。享和2年(1802年)2月、新設の蝦夷奉行(同年5月に箱館奉行、文化4年(1807年)に松前奉行に改称)となり、上野国群馬郡内に100石の加増を受け、中島戸川家の家禄は知行500石となる。
文化5年(1808年)4月、文化露寇の責により松前奉行を罷免され、寄合入りおよび差控となる。文化12年(1815年)、広敷御用人として役職に復帰し、文政4年(1821年)、在任中に死去した。目黒・最上寺に墓所がある。
跡目は子の安清が継いだ。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「戸川安論」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.