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徳川綱重 : ミニ英和和英辞書
徳川綱重[とくがわ つなしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

徳川綱重 : ウィキペディア日本語版
徳川綱重[とくがわ つなしげ]

徳川 綱重(とくがわ つなしげ)は、甲斐甲府藩主。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の三男。母は側室の夏(順性院)、養母は天樹院(千姫)乳母松坂局
== 概略 ==
母・夏が綱重を懐妊した際、父の家光は厄年にあたっており、災厄を避けるために姉の天樹院(千姫)を養母とした。
1651年慶安4年)、甲斐甲府藩15万石に封じられ、城地として甲府城を与えられ独立した大名となる。所領は甲斐、武蔵信濃駿河近江に散在した。ただし、将軍家の一員として江戸の屋敷で生活していた。その後参議に補任がなされ、その唐名から甲府宰相の異名で呼ばれる。
1654年承応3年)、甲府浜屋敷(後の浜離宮)が建築される。
1678年(延宝6年)、兄の第4代将軍・家綱に先立って35歳の若さで死去した。
墓所は東京都港区増上寺1959年に移転改築された際、6月から9月に遺体の調査が行われたが、四肢骨から推定した身長は160.1センチメートルであった。この調査については、鈴木尚の『骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと』、『増上寺徳川将軍家墓とその遺品・遺体』を参照。
弟の綱吉が後に第5代将軍となったが、子がなかったため、綱重の長男・綱豊が綱吉の養子となり、家宣と改名して第6代将軍となった。
政治は、関孝和を抱えるなど学問に理解があり、甲府湯島聖堂と同様の聖堂を作ろうとした。綱重自身が甲斐へ赴いたことはないが、綱重期には在国の家臣団が主導し、釜無川の治水における徳島堰の開削などが行われた。
『武家勧懲記』によれば「綱重卿ハ自然ト権威備リ、剛勇有テ物毎好悪ノ意地ナク、行跡悠然トシテ、聡明叡智ノ御器量タリ」と評されており、その人望はきわめて高かったとされる。死因は酒害というが、不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「徳川綱重」の詳細全文を読む




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