翻訳と辞書
Words near each other
・ 張賀
・ 張賓
・ 張賢亮
・ 張賢妃
・ 張賢秀
・ 張赦提
・ 張赫宙
・ 張超
・ 張超 (広陵太守)
・ 張越紅
張軌
・ 張軌 (西魏)
・ 張軫
・ 張載
・ 張辛欣
・ 張辟彊
・ 張込み
・ 張込み量
・ 張迪
・ 張道藩


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

張軌 : ウィキペディア日本語版
張軌[ちょう き]

張 軌(ちょう き 255年 - 314年)は、五胡十六国時代前涼の創建者。
==生涯==
安定郡烏氏(現寧夏回族自治区固原の東南)で張温の子として生まれる。前漢初期の張耳の17世孫に当たると伝わる〔『晋書』張軌伝では「常山王(の張耳)の子孫である」と記述されているが、『史記』や『漢書』では、「常山王」は項羽から与えられた地位であり、後に仕えた高祖劉邦から与えられたのは「趙王」と記述されているため、張軌自身が張耳の子孫かどうか疑わしいという説がある。〕。
代々儒学を伝え、孝廉で知られる家庭に育つ。初に尚書郎・太子洗馬・散騎常侍などを歴任した。晋末の混乱のとき、河西のオアシス地帯が平穏で豊かなことに眼をつけた。301年涼州刺史に任ぜられて赴任し、鮮卑族の叛乱を抑えて河西を支配した。
永嘉の乱において、王弥劉曜らが洛陽長安を攻めたときは、配下の北宮純率いる勤王の軍を派遣した。晋の侍中太尉・涼州牧に上り、西平郡公に封ぜられた。乱を避けた中原の人士を受け入れて、武興郡を立てた。農業や学問を奨励し、涼州の士人を重用して、半独立の体制を保った。
生前は王を称することはなかったが、曾孫の張祚が帝を称すると武王(武穆王)と追尊された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「張軌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.