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張軫 : ウィキペディア日本語版
張軫[ちょう しん]

張 軫(ちょう しん)は中華民国中華人民共和国の軍人。鎮嵩軍国民軍などを経て、国民革命軍に属した。日中戦争で活躍後、国共内戦では中国共産党側に転じた。翼三
== 事績 ==

=== 鎮嵩軍、国民軍時代 ===
1909年宣統元年)、開封陸軍小学第4期生として入学し、在学中に辛亥革命に革命派として参加、李烈鈞配下となった。中華民国成立後に復学して卒業、南京陸軍第三中学に進学した。1916年(民国5年)、北京清河陸軍第一予備学校に入学、1918年(民国7年)、保定陸軍軍官学校第9期歩兵科に進学した。翌年、日本へ留学し、陸軍士官学校歩兵科で学んだ。〔劉国銘主編(2005)、1144頁。〕〔張(1999)、332-333頁。〕〔徐主編(2007)、1745-1746頁は記述の誤りが多数あるため、本記事では参考としなかった。〕
1923年(民国12年)に張軫は陸士を卒業して帰国、陝西省を統治していた劉鎮華率いる鎮嵩軍に属した。しかし張は、鎮嵩軍の士官の資質の低さに失望することになる。翌年10月に馮玉祥北京政変(首都革命)を起こして国民軍を結成すると、張もこれに転じ、胡景翼率いる国民軍第2軍で第2師参謀処処長や開封訓練処戦術教官として起用される。ところが1925年(民国14年)3月、胡が急死し、岳維峻が後任の軍長になると、岳は運営能力の低さから軍の質を急激に低下させてしまった。これに失望した張は、広州へ移り、黄埔軍官学校第4期戦術教官として起用されている。〔〔張(1999)、333-334頁。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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