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馮玉祥 : ミニ英和和英辞書
馮玉祥[ふう ぎょくしょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin

馮玉祥 : ウィキペディア日本語版
馮玉祥[ふう ぎょくしょう]

馮 玉祥(ふう ぎょくしょう)は中華民国の軍人。中華民国軍陸軍一級上将。北京政府に属し、当初は直隷派であったが、後に国民軍を組織し、その指導者となった。北伐に際しては五原誓師を行い、全軍で中国国民党に加入、国民革命軍国民政府)に参加している。旧名は基善煥章。祖籍は安徽省廬州府巣県(現在の巣湖市)。
== 経歴 ==

=== 清末の活動 ===
李鴻章率いる淮軍の下級将校の子として生まれる。両親ともにアヘン中毒であったために家庭は苦しい状態にあった。15歳で軍に入り、1903年光緒29年)に早くも武衛右軍で哨長に昇進している。第3営標統陸建章は馮玉祥の才幹を評価し、妻方の姪である劉徳貞を娶わせた。その後も馮は順調に昇進し、1910年宣統2年)には第20鎮第80標第3営管帯になっている。
この頃までに馮玉祥は革命思想に傾倒しており、第20鎮駐屯地の灤州で、同僚の王金銘施従雲らと「武学研究会」を結成し、これを密かに革命派の組織としていた。この研究会には、後に馮の盟友や配下となる孫岳鄭金声張之江鹿鍾麟李鳴鐘韓復榘も加わっている。1911年(宣統3年)10月、武昌起義辛亥革命)が勃発すると、王、施、馮もこれに呼応して灤州で挙兵して北方軍政府を樹立し、王が北方大都督、施が総司令、馮が参謀総長を称した(灤州起義)。しかしこの蜂起はまもなく清軍により鎮圧されてしまい、王と施は殺害され、馮は捕らえられた後に免職、故郷に送還されてしまう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「馮玉祥」の詳細全文を読む




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