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庄家長 : ミニ英和和英辞書
庄家長[しょう いえなが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
家長 : [かちょう]
 【名詞】 1. patriarch 2. family head
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

庄家長 : ウィキペディア日本語版
庄家長[しょう いえなが]
庄 家長(しょう いえなが、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武蔵国児玉党(現在の埼玉県本庄市栗崎出身)の武将。通称を太郎。栗崎館2代館主。後に備中国(現在の岡山県)の武将となり、猿掛城初代城主となる。
庄太郎家長は、武蔵国児玉郡栗崎村(現在の大字栗崎)の地に館を築いたと考えられる武将庄太夫家弘の子とされ、彼の活躍は、『吾妻鏡』や『源平盛衰記』に記されている(庄弘高とは年代的から見て兄弟であると考えられ、研究者の間では、弘高が家弘の次男であると考えられている〔(昭和の)『資料館だより』および『本庄人物事典』など。〕)。児玉党の本宗家4代目である家弘の嫡子に生まれ、児玉党本宗家5代目を継いだ武将である。
==児玉党の上州への勢力拡大==
玉葉』の安元元年(1175年)11月14日条に、伊勢神宮より上野国緑野郡高山御厨に対する児玉庄の濫行が訴え出され、朝廷では児玉庄にその実否を問い合わせている、との旨の記述がある。児玉庄と高山御厨は、神流川を境界にして隣接していたので両者の間で紛争が生じたものと考えられる。この時、児玉党の党首は庄太郎家長であったと推定されている。『武蔵七党系図』には、阿佐美実高(弘方の子息の1人で家長の)の所領中に、「上野国高山御庄」とある為、朝廷の問い合わせにかかわらず高山御厨がやがて児玉党によって略奪された事が分かる。12世紀末の時点で児玉党が武蔵国国境を越え、その勢力を上野国南部にまで広げていた事が分かる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「庄家長」の詳細全文を読む




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