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幣久良神社 : ミニ英和和英辞書
幣久良神社[みてくらじんじゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

幣久良神社 : ウィキペディア日本語版
幣久良神社[みてくらじんじゃ]

幣久良神社(みてくらじんじゃ)は、大阪府茨木市にあった神社。地元では「てくらじんじゃ」と呼ばれる。延喜式神名帳に『摂津国 島下郡 幣久良神社 鍬靫』と記されている式内社明治41年(1908年)に安威の式内社である阿為神社に合祀された。
== 歴史 ==
勧請年月不詳。元禄11年(1698年)、幣久良の森から百舌鳥野小松原の瑠璃光院の西に移した〔吉井良隆 『式内社調査報告』 第5巻 (1979年)〕。『高反別記』に「手鞍山の坤に耳原村上野村の墓所があるので、これを忌み、元禄10年、大坂御奉行所へ願出て薬師堂の松原へ社を移す」〔虎谷茂 『駄馬の足場』 (2003年)〕とある。『八雲御抄』に「月夜には手くらの杜もくらからすましてしらゝの濱いかならん」と詠まれている。
幣久良山の東の池は神輿を埋めたので御手洗池と呼ばれた。元禄の社殿修築の際、池の木を使おうとしても動かないので神木としたが、後に畑にするために伐採した村人が病死したので、延享元年(1744年)に神木のあったところに祠を建てた〔神田正武 『摂津国第一区 村々神社明細上控』 (1874年)〕。
摂津名所図会』に「耳原村にあり。鍬靱。『延喜式』に出づ。生土神とす。今稲荷大明神と称す。」とあり、
「幣久良神社現今境内之図」には、幣久良山、幣久良池(御手洗池)の東、西国街道の北、田地の中に反正天皇陵(鼻摺古墳)と履中天皇陵耳原古墳)の間に鳥居・燈籠・拝殿・本殿が描かれ、文化3年(1806年)に作成された『山崎通分間延絵図』にも履中帝陵に稲荷社と薬師が並んでいる。
明治12年(1879年)の『耳原誌』には「別社 本村の西方幣久良山の麓にあり。稲荷神社・清森稲荷神社・幣久良山稲荷神社。村社(幣久良神社)の別社なれば倉稲魂命を祭れり。」〔新修茨木市史資料集15『村誌Ⅲ』 (2011年)〕とあり、旧地を別宮として祀っていた。
この地は長くテイジンの敷地であったが、現在、セキスイによる宅地開発で削平され面影はない。幣久良山裾に稲荷神社跡の石碑(白髭大明神、大正11年4月健之)と、瑠理光院にあった薬師堂が耳原自治会館前に遺っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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