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山口千嶺 : ミニ英和和英辞書
山口千嶺[やまぐち ちみね]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [みね]
 【名詞】 1. peak 2. ridge

山口千嶺 : ウィキペディア日本語版
山口千嶺[やまぐち ちみね]
山口 千嶺(やまぐち ちみね、1937年6月11日 - 2004年9月3日)は、将棋棋士、八段。飯塚勘一郎八段門下。棋士番号は81。茨城県水戸市出身。
== 棋歴 ==
年ごとの好不調の波が激しい棋士であった。
1951年、奨励会に入会。
1960年度後期、奨励会A組(旧制度の三段リーグ)に初参加。関東優勝をし、関西の相馬清司三段〔相馬清司は山口に敗れた後、二度と関西優勝をすることができず、1968年度後期を最後に奨励会A組を退き、準棋士(指導棋士)四段となっている。〕との東西決戦も制して、1期で突破する。これにより、1961年4月1日、四段昇段(プロ入り)した。
第18期(1963年度)C級2組順位戦で9勝3敗で2位の成績を収め、C級1組へ昇級。段位は五段となる。勝った相手の中には米長邦雄がいた。
第21期(1966年度)第21期C級1組順位戦では11勝1敗で1位となり、B級2組へ昇級。段位は六段となる。その後、いったんC級1組に落ちるが、第28期(1973年度)第28期C級1組順位戦で8勝2敗で2位となり、B級2組に復帰している。
第26期(1975年度前期)棋聖戦で、本戦トーナメントに進出。さらに、1回戦で晩年の塚田正夫永世九段を倒してベスト8。2回戦で二上達也に敗れる(二上は大山康晴棋聖への挑戦者となった)。第29期(1976年度後期)棋聖戦でも本戦進出。
1975年、38歳にして第7回(1976年度)新人王戦に出場し、ベスト4進出。
第9回(1976年度)早指し将棋選手権で予選を突破。本戦では3回戦に進出。
第33期(1978年後)棋聖戦で本戦に進むが、1回戦で二上達也に敗れる(二上は中原誠棋聖への挑戦者となった)。
1979年は成績不振であったが、第28回王座戦に星を集め、花村元司芹沢博文を破り予選を突破。1980年度に行われた本戦トーナメントでは1回戦で内藤國雄に勝利(2回戦で大山康晴に敗れる)。
第44期(1984年度前期)棋聖戦で、自身4度目の本戦進出。
第25期(1984年度)王位戦で、予選トーナメントを4連勝で抜けてリーグ入り。山口が入った白組リーグのメンバーは、山口以外は全員タイトルを経験者であった(大山康晴、中原誠、内藤國雄、森けい二森安秀光)。その中で森と森安から白星を挙げる健闘を見せたが、2勝3敗でリーグ残留はならなかった。
第38期(1988年度)王将戦で二次予選2回戦まで進み、棋界随一の難関リーグ入りまであと2勝としたが、谷川浩司(当時名人)に敗れる。
2003年に引退。翌年(2004年)9月3日、死去。享年67。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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