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谷川浩司 : ミニ英和和英辞書
谷川浩司[たにがわ こうじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

谷川 : [たにがわ]
 【名詞】 1. mountain stream 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 

谷川浩司 : ウィキペディア日本語版
谷川浩司[たにがわ こうじ]

谷川 浩司(たにがわ こうじ、1962年4月6日 - )は、将棋棋士若松政和七段門下。棋士番号は131。兵庫県神戸市須磨区出身。
タイトル通算獲得数は歴代4位永世名人十七世名人)の資格〔永世名人を襲位するのは原則として引退後である。ただし、先々代の大山康晴十五世名人と先代の中原誠十六世名人は、現役の途中で襲位している。他の永世称号まで含めても、引退後初めて襲位した例は名人陥落直後に引退・襲位した木村義雄十四世名人しかいない。〕を保持。
日本将棋連盟棋士会会長(初代、2009年4月 - 2011年3月)、日本将棋連盟専務理事(2011年5月 - 2012年12月)を務め、2012年12月より日本将棋連盟会長に就任〔日本将棋連盟、新会長に谷川専務理事を選出 朝日新聞 2012年12月25日閲覧〕。
== プロデビューまで ==
5歳の頃、5つ年上の兄・俊昭との兄弟喧嘩が絶えなかったため、父が兄弟喧嘩を止めさせる目的で将棋盤を買ってきて兄弟で将棋を指させた。これが、将棋との出会いである〔光より速く(第2回柏将棋フェスティバル) 〕〔日本経済新聞 1997年10月14日夕刊 〕。ルールは百科事典で調べたという〔中平邦彦 『名人谷川浩司』(池田書店)91頁〕。そして、兵庫県の大会に出るようになって、面白さを感じるようになっていく。なお、この話には「兄弟喧嘩はむしろひどくなった」というオチがある〔。負けず嫌いだった谷川は「駒を投げつけたり、噛んだりした」という。
小学生時代、神戸・三宮でおこなわれた将棋のイベントで内藤國雄(当時八段)と対局したこともある〔。この対局について、内藤は「中盤から終盤への感覚が優れていた」と谷川を評し〔、谷川も「大きな自信になった」と回顧している〔。
プロを目指すことになった浩司は、小学5年の4月(1973年)に、5級で奨励会で指し始める。以降、順調に昇級・昇段を重ね、中学2年時代の1976年12月20日に四段に昇段してプロデビューした。加藤一二三以来、史上2人目の「中学生棋士」の誕生である。プロ将棋史上、中学2年以下でプロ入りした棋士は谷川のみである。ただし、最年少棋士の記録保持者は加藤である(谷川は14歳8ヶ月、加藤は14歳7ヶ月)。
なお、兄・俊昭は灘中学校・高等学校東京大学リコー(将棋大会トップクラスの常連)で将棋部に在籍し、アマチュアのタイトルを何度も獲得した。「将棋ジャーナル」誌の企画対局において、四段時代の羽生善治平手で勝ったこともある〔「週刊将棋」1988年12月28日号〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「谷川浩司」の詳細全文を読む




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