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大山康晴 : ミニ英和和英辞書
大山康晴[おおやま やすはる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大山 : [たいざん, おおやま]
 【名詞】 1. great mountain 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

大山康晴 : ウィキペディア日本語版
大山康晴[おおやま やすはる]

大山 康晴(おおやま やすはる、1923年大正12年)3月13日 - 1992年平成4年)7月26日)は、将棋棋士。棋士番号26。木見金治郎門下。主な記録としては、公式タイトル獲得80期(歴代2位)、一般棋戦優勝44回(歴代1位)、通算1433勝(歴代1位)等がある。十五世名人、および、永世十段・永世王位・永世棋聖・永世王将という、5つの永世称号を保持。
日本将棋連盟会長でもあった。弟子には有吉道夫中田功行方尚史などがいる。1990年(平成2年)に将棋界初の文化功労者顕彰となった。正四位勲二等瑞宝章を受章。岡山県倉敷市出身で、倉敷市および青森県百石町名誉市民・名誉町民。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
1923年(大正12年)3月13日、岡山県浅口郡河内町西阿知(現・倉敷市)に生まれる。5歳頃から将棋を覚え始め、才能を注目されて、1935年(昭和10年)に大阪に出て、木見金治郎九段に入門。内弟子となり順調に昇段していった。しかし師匠の木見が数少ない中将棋の指し手で、1938年(昭和13年)は大山も中将棋囲碁に没頭して昇段できなかった。一方で中将棋から駒の連携を重視する用心深く、粘りのある棋風が生まれたと大山自身後年述懐している。
1940年(昭和15年)に17歳で四段の棋士となり、1943年(昭和18年)に六段に昇段。大東亜戦争中の1944年(昭和19年)に召集され、南九州に配属される。上官が将棋好きであった事が幸いし、一度艦載機の機銃掃射を受けたほかは危険な目にもあわず、比較的恵まれた軍隊生活を送った。
木見門下の兄弟子に大野源一角田三男、そして終生のライバル升田幸三がいる。内弟子時代、はじめは兄弟子の升田幸三が受け将棋で大山は攻め将棋だったが、二人で数多く対局するうちに、升田は攻めが強くなり、大山は受けが強くなったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大山康晴」の詳細全文を読む




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