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山内盛彬 : ミニ英和和英辞書
山内盛彬[やまうち せいひん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

山内盛彬 : ウィキペディア日本語版
山内盛彬[やまうち せいひん]

山内 盛彬(やまうち せいひん、1890年3月9日 - 1986年3月17日)は、日本の音楽学者、沖縄の音楽家
== 経歴 ==
沖縄県首里金城町生まれ、幼くして父母に死別し、宮廷音楽家であった祖父盛熹に育てられ、湛水流・野村流を学ぶ。1908年、沖縄師範学校に入学、音楽学を修め、1912年8月、琉球王府最後のおもろ主取であった宜野湾在住の安仁屋真苅より王府おもろ5曲6節を、また国頭在住の宇座徳守より御座楽を伝授され、採譜するなど沖縄各地に残る古典音楽を渉猟し、記録に残す。1915年、上京し、東洋音楽学校(現 東京音楽大学)の田辺尚雄に師事するが、祖父の危篤によりすぐに帰郷、遺言に従って琉球音楽の研究と伝承に一生を捧げることを決意し、小学校に勤務しながら採訪を進める。1929年、再び上京し、日本大学で国文学を修め、京橋音楽学校に勤務。柳田國男が主宰する「南島談話会」に入り、伊波普猷金田一京助らと交流を深める。1948年、親泊興照の依頼により「ヒヤミカチ節」を作曲。戦後の荒廃した沖縄の人々に熱く受け入れられた。作曲した民謡・童謡も数多い。1951年、渡米し、アルゼンチンブラジルチリボリビアペルーを巡歴。1959年から1972年にかけて『琉球民俗芸能全集』を自費出版。1960年、沖縄に帰郷、国際大学(現 沖縄国際大学)で琉球音楽史を講じる。1966年7月、コザ市名誉市民となる。1971年より再び渡米し、ブラジルに滞在。1972年、勲四等瑞宝章緑綬褒章を受章。1975年、沖縄県文化功労賞を受章。1978年、日本に戻り、安仁屋真苅の曽孫にあたる安仁屋眞昭に「王府おもろ」を伝授。9月に沖縄に帰住。1981年、盛彬が伝承する「王府おもろ」が沖縄県無形文化財に認定。1982年、「湛水流伝統保存会」の初代会長に推挙。1986年、千葉市の長男宅に引き取られ、老衰のため埼玉県の新越谷病院にて死去〔『王府おもろ調査報告書』66~70頁「山内盛彬年譜」(比嘉悦子編)・山内盛彬著作集 第3巻 493~501頁「年譜」(比嘉悦子・山内盛隆編)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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