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伊波普猷 : ミニ英和和英辞書
伊波普猷[いは ふゆう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
: [ふ]
 【名詞】 1. widely 2. generally 

伊波普猷 : ウィキペディア日本語版
伊波普猷[いは ふゆう]

伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、沖縄県那覇市出身の民俗学者、言語学者、沖縄学の父として知られる。
== 経歴 ==
琉球藩那覇西村(現在の那覇市西)に父普済・母マツルの長男として生まれる。1903年(明治36年)、第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学言語学を専攻する。帝大では、橋本進吉小倉進平金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講した。
帰郷後沖縄県立図書館の館長を務める傍ら、沖縄研究資料の収集に尽力した。歴史学者の比嘉春潮とともに、エスペラント学習活動を、教会では聖書の講義などを行った。弟伊波月城は、沖縄毎日新聞の新聞記者として文明開化のために活動した〔仲程昌徳 『伊波月城 琉球の文芸復興を夢みた熱情家』(シリーズ民間日本学者:リブロポート、1988年)に詳しい〕。
学問の領域は、沖縄研究を中心に言語学、民俗学文化人類学歴史学宗教学など多岐に渡る。その学問体系よって、後に「沖縄学」が発展したゆえ、「沖縄学の」とも称された。
おもろさうし』研究への貢献は多大で、琉球と日本とをつなぐ研究を行うと共に、琉球人アイデンティティの形成を模索した。「日琉同祖論」はその探究の一つである。しかし、例えば鳥越憲三郎は『琉球宗教史の研究』において、伊波の「琉球研究の開拓者としての功績は大いに讃えられて然るべきである」と評する一方、その研究について「文献に偏重し、加うるに結論を出すに急であったために、幾多の論理的飛躍と誤謬とを犯したことも事実である」と指摘している〔鳥越憲三郎『琉球宗教史の研究』p35.〕。また、伊波の思想の欠点は、近代日本がうみだした沖縄差別への批判が弱かったことで、そのため、沖縄人としての生き方に誇りをみいだすことにおいて、一定の成果をあげたが、結果として天皇制国家に沖縄をくみこむための政策に利用されることになった、という評もある〔新城俊昭『琉球・沖縄 歴史人物伝』p140, 2006 ISBN 978-4-903042-04-6〕。
民俗学者の柳田國男折口信夫人類学者鳥居龍蔵、思想家・経済学者の河上肇らと親交があった。友人の東恩納寛惇は伊波について、浦添城跡の顕彰碑に「彼ほど沖縄を識った人はいない 彼ほど沖縄を愛した人はいない 彼ほど沖縄を憂えた人はいない 彼は識ったが為に愛し愛したために憂えた 彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった」と刻んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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