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妻木頼忠 : ミニ英和和英辞書
妻木頼忠[つまき よりただ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つま]
 【名詞】 1. (hum) wife 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 

妻木頼忠 : ウィキペディア日本語版
妻木頼忠[つまき よりただ]

妻木 頼忠(つまき よりただ)は戦国時代武将美濃国土岐郡妻木城主(第13代目)。妻木貞徳の子で、妻木広忠の孫(寛政重修諸家譜の記述から広忠と貞徳の血縁を否定する説もある)。子に妻木頼利がいる。
== 生涯 ==

=== 森家に服する ===
天正10年(1582年本能寺の変の後に起きた山崎の戦いで祖父の広忠が自刃し、織田信長馬廻であった父の貞徳も美濃国妻木村で隠居したため、頼忠が妻木城を継ぐことになった。その頃森長可可児郡加茂郡内の反抗する勢力の掃討を開始。これを平定した森長可は更に土岐郡恵那郡にも侵略の手を伸ばし、手始めに高山城平井頼母に使者を送り、城を明け渡すように要求したが、これに応じなかったため自刃に追いこみ、その後肥田氏を入城させた。次に妻木城にも使者を送ったが、頼忠は拒否したので森長可は豊前市之丞を総大将とした兵を妻木城に送った。頼忠は城の兵を集めて奮戦したが、勝てる見込みがなかったので和議にもちこみ、森長可の家臣になった。この時、人質として2人の弟ら妻木一門らが金山城下への移住を強制されている。また、一時的に妻木城代は林為忠となっている。
天正12年(1584年小牧・長久手の戦いの際に頼忠は森長可の家臣だったため豊臣秀吉側についた。愛知県春日井市岐阜県多治見市の境にある内津峠に布陣した。この時、敵と交戦した際に麓にある町や内津神社などが焼失したという。長可戦死後は跡を付いだ森忠政に仕えた。この頃、ある程度信任を得た頼忠は林為忠の高野城代転身に伴い妻木城代に復している。慶長5年(1600年)の森忠政の信濃国川中島転封には同行せず美濃に残り、変わらず妻木城を領した。その後、徳川家康と通じて度々書状を交わし、上方の情報収集など諜報活動を行った(関ヶ原合戦前後の徳川家康文書も参照)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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