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大寧寺の変 : ミニ英和和英辞書
大寧寺の変[だいねいじのへん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やすし, むしろ]
  1. (io) (adv) rather 2. better 3. instead
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [へん]
  1. (adj-na,n) change 2. incident 3. disturbance 4. strange 5. flat (music) 6. odd 7. peculiar 8. suspicious-looking 9. queer 10. eccentric 1 1. funny 1

大寧寺の変 : ウィキペディア日本語版
大寧寺の変[だいねいじのへん]

大寧寺の変(たいねいじのへん)とは、天文20年8月28日 - 9月1日1551年9月28日 - 9月30日)にかけて起こった、周防山口の戦国大名・大内義隆が家臣の陶隆房(のちの晴賢)謀反により、自害させられた政変。この事件で西国随一の戦国大名とまで称されていた大内氏が実質的に滅亡し、西国の支配構造は大きく変化した。後年の本能寺の変と並ぶ下克上の事例ともいわれる〔。
== 背景 ==
天文10年(1541年)、大内氏の傘下の毛利氏を攻めた尼子氏は敗退した(吉田郡山城の戦い)。これを契機に、周防戦国大名である大内義隆は、大内家臣団でも武功派である陶隆房らの主導のもと、天文11年(1542年)に大軍を率いて尼子氏の本国・出雲への遠征に臨んだが、月山富田城に籠もって徹底抗戦する尼子晴久を攻めあぐねる(第一次月山富田城の戦い)。ついには、越年した天文12年(1543年)2月に大内軍は総崩れとなり、大将・義隆は周防に敗走、甥で養子の大内晴持に至っては敗走途中の揖屋浦で溺死するなど、大内方は散々な結果を迎えた。
これにより、勢力の回復を図ろうとして活発化する尼子氏に対して、安芸石見備後などでは大内諸将や毛利元就らが対抗して出陣するなど、慌ただしくなっていた〔(布野崩れ神辺合戦など)。一方の義隆は、出雲遠征を主導した陶隆房ら武功派を国政の中枢から遠ざけた。出雲での大敗が極端なまでの厭戦気運を助長したばかりでなく、政務を文治派の寵臣・相良武任に一任して政務から遠ざかり、学芸・茶会などに没頭、公家のような生活を送るようになり、国内治政さえ顧みなくなった。さらには多額の出費を賄うため、年貢の増徴も行われたため、土豪や領民も増税に苦しむようになった〔〔。
このため、大内家の主導権を巡って武功派の陶隆房・内藤興盛ら(ひいては、武任の偏重に反発する大内家の評定衆全体)が、文治派の相良武任を敵対視するようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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