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吉田郡山城の戦い : ミニ英和和英辞書
吉田郡山城の戦い[よしだこおりやまじょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ぐん]
 【名詞】 1. country 2. district 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山城 : [やまじろ]
 (n) mountain castle
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

吉田郡山城の戦い : ウィキペディア日本語版
吉田郡山城の戦い[よしだこおりやまじょうのたたかい]

吉田郡山城の戦い(よしだこおりやまじょうのたたかい)は、天文9年(1540年)から天文10年(1541年)まで安芸国吉田の吉田郡山城(現・広島県安芸高田市)周辺で行われた、大内氏に従属していた毛利氏当主・毛利元就と尼子詮久(後の尼子晴久)との戦い。実際は城外での戦闘が主で、いわゆる籠城戦ではなかったため、郡山合戦(こおりやまかっせん)とも呼ばれる。
== 背景 ==
安芸国の吉田を治める国人領主であった毛利氏は、周防の大内氏に長年服属していたが、出雲尼子氏が勢力を拡大して安芸に伸張してくると、二大勢力の狭間で巧みな外交を続けていた。
大永4年(1524年)の佐東銀山城の戦いでは尼子方として戦った毛利氏であったが、かつて元就の家督継承問題に尼子経久が介入〔詳細は毛利元就#家督相続及び相合元綱の項目を参照。〕してきたことなどから、尼子氏に対する不信は少なくなく、翌5年(1525年)には大内氏の元に帰参した。とは言え、勢力維持のために大内・尼子の間での絶妙なバランスを保ち続けており、享禄3年(1530年)に発生した尼子氏の内紛(塩冶興久の乱)の影響で一時的に尼子氏と大内氏の間に和睦が成立すると、元就も享禄4年(1531年)に尼子詮久と義兄弟の契りを結んでいた〔毛利元就 「猛悪無道」と呼ばれた男(著:吉田龍司 2010年 新紀元社)〕。
しかし、天文6年(1537年)に尼子経久が隠居し、尼子氏の家督を詮久が継ぐと、元就は長男の少輔太郎(後の毛利隆元)を人質として山口に差し出し、大内氏の傘下に加わっている立場を明確にした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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