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大同電力 : ミニ英和和英辞書
大同電力[だいどうでんりょく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大同 : [だいどう]
 【名詞】 1. largely the same 
: [どう]
 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. 
電力 : [でんりょく]
 【名詞】 1. electric power 
: [ちから, りょく]
  1. (n-suf) strength 2. power 

大同電力 : ウィキペディア日本語版
大同電力[だいどうでんりょく]

大同電力株式会社(だいどうでんりょく、英文社名:''Great Consolidated Electric Power Company, Limited.''〔英文社名は定款に記載あり。カナ表記は「グレートコンソリデーテツド エレクトリツク パワー コンパニー リミツテツト」(『大同電力株式会社沿革史』58頁)〕)は、大正から昭和初期にかけて存在した日本の電力会社である。当時の大手電力会社、通称「五大電力」の一つ。
大阪送電株式会社(おおさかそうでん)の社名で1919年11月に設立され、1921年2月に木曽電気興業日本水力の2社を合併して大同電力に改称。木曽川などの河川において電源開発(水力開発)を手がけ、関西から中部関東にかけて所在する電気事業者への電力供給を事業の中心とする卸売り電力会社として発展した。
1939年4月に解散。保有していた発電所はその後の再編を経て関西電力中部電力北陸電力の3社に継承された。また傍系会社の系譜を引く特殊鋼メーカーの大同特殊鋼に「大同」の社名を残している。
== 概要 ==

大同電力株式会社は、1919年(大正8年)から1939年(昭和14年)にかけて存在した、電気事業者への電力供給、すなわち電力の卸売り〔一般の需要家に直接供給せず、発電送電変電設備を保有して大量の電力を他の電気事業者に供給することを電力の「卸売り」という。逆に一般需要家への配電設備を持ち電灯・電力の供給をなすことを「小売り」という。なお、当時の電気事業法では電気鉄道の経営も電気事業に含まれる(「電気事業 経営百態おろし売と小売」『東京朝日新聞』1925年9月22日付。「新聞記事文庫 」収録、2014年6月27日閲覧)。〕を主体とする電力会社である。大正末期から昭和戦前期にかけて大きな勢力を持っていた電力会社5社、いわゆる「五大電力」の一つに数えられる。
1919年11月、「大阪送電株式会社」の社名で設立されたのが大同電力の始まりである〔『大同電力株式会社沿革史』(以下『沿革史』と略す)、1-2頁〕。設立の前年にあたる1918年(大正7年)9月に中部地方を流れる木曽川の水力開発などを目的として設立されていた木曽電気興業(旧社名木曽電気製鉄)が主たる親会社で、同社が開発する水力発電所の発生電力を関西地方へと送電することを起業の目的とした〔。これら大阪送電・木曽電気興業の2社に加えて、北陸地方などにおける水力開発を計画し、関西方面への送電を構想するという点で起業目的が共通する日本水力の計3社が1921年(大正10年)2月に合併し、大同電力株式会社は発足した〔。初代社長は大阪送電・木曽電気興業両社の社長を兼ねていた福澤桃介である〔。
発足後の大同電力は、木曽川において積極的な水力開発を手がけることにより規模を拡大していった〔『日本コンツエルン全書』13、329-330頁〕。木曽川に建設された発電所のうち、1924年(大正13年)に完成したダム式の大井発電所は当時国内で最大の発電出力を擁した〔。電力の供給先はおおむね電気事業者であり、小売りの比率が1割程度あったため専業とは言えないが、電力の卸売りを事業の主体とした〔。
大同電力が発足した第一次世界大戦後から大正末期にかけて、日本では5つの電力会社が業界内で巨大化していた〔。この5社がいわゆる「五大電力」で、大同の他は、関東の東京電灯中京九州北部の東邦電力、関西の宇治川電気、同じ卸売り会社の日本電力を指す〔『中部地方電気事業史』上巻、161頁〕。五大電力のうち特に宇治川電気・東京電灯とはしばしば対立し、初期には攻勢を仕掛けて大量の電力供給契約を獲得し、後期には一転攻勢を仕掛けられて電力料金の引き下げを要求されるなど、「電力戦」と呼ばれる紛争を生じた〔『日本コンツエルン全書』13、336-344頁〕。
業績について見ると、1920年代を通じて上昇し同年代後半にピークを迎えるが、1930年代に入ると下降し一時無配に転落〔。30年代中盤からは持ち直したが〔『沿革史』、20-21頁〕、このころより電力業界の再編を目指す「電力国家管理」政策の検討が本格化する〔〔。同政策は1938年(昭和13年)の電力管理法公布、そして翌1939年(昭和14年)4月の国策会社日本発送電設立という形で実行に移された〔。同社設立の過程で大同電力は電力設備の出資を命ぜられ、他の設備も強制買収の対象とされた上に、政府当局から残余の資産・負債についても日本発送電へ移管することを慫慂された〔。このことから大同電力は全社を挙げて日本発送電へと合流する道を選び、資産・負債を同社へと継承させて1939年4月に解散した〔。最後の社長(2代目社長)であった増田次郎は、解散により日本発送電の初代総裁に転じている〔。
大同電力から日本発送電に継承された発電所は、第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)に実施された「電力再編成」に際して、新発足した電力会社9社のうち関西電力中部電力北陸電力の3社にそれぞれ引き継がれた〔〔〔。中でも大半を占めていた木曽川の発電所はすべて関西電力の帰属となっている〔。
傘下に抱える関係会社には、北陸から関西への送電線を建設した昭和電力などがあった〔。傍系会社のうち親会社と同じく「大同」の社名を冠する企業は3社あり〔、そのうち大同電力の兼業部門を起源とする大同製鋼(旧・大同電気製鋼所)は、特殊鋼メーカーとして戦後発展した大同特殊鋼の前身にあたる〔『大同製鋼50年史』、129・201頁他。また「沿革 大同特殊鋼 」(大同特殊鋼公式ウエブサイト)も参照(2014年4月30日閲覧)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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