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北畠顕成 : ミニ英和和英辞書
北畠顕成[きたばたけ あきなり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きた, ほく]
 (n) north
: [はたけ]
 【名詞】 1. plowed (cultivated) field (ploughed) 2. kitchen garden 3. plantation

北畠顕成 : ウィキペディア日本語版
北畠顕成[きたばたけ あきなり]

北畠 顕成(きたばたけ あきなり)は、南北朝時代公卿。贈右大臣北畠顕家の嫡男である。南朝に仕えたが、事績には不明な点が多い。後世の所伝では、『太平記』作者の一人、また浪岡氏村上水軍の祖に擬せられる。
== 経歴 ==
後醍醐天皇のために忠死した北畠顕家の遺児であることから、南朝で相当の寵愛を受けていたであろうと想像されるが、それを物語る史料は確認できない。正平一統正平7年(1352年)1月従四位上に昇叙したのが初見〔『園太暦』同年正月5日条〕。やがて累進して公卿に列し、天授4年/永和4年(1378年従二位権大納言に叙任されたというが〔『南方紀伝』〕、さらに内大臣へ昇進したことを示唆する史料があり〔『仁和寺諸院家記』菩提院の項には、前大僧正覚杲について、「号内大臣■■、中院内大臣顕成公息、南方北畠准后舎弟ママ云々」との注記がある。〕、これが極官であろう。一説には、出家して行意と号したとされる。『南朝公卿補任』には元中3年2月28日1386年3月28日)に薨去したと伝えるが、これは以下に諸説として列挙する所伝と必ずしも符合しない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北畠顕成」の詳細全文を読む




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