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中王国時代 : ミニ英和和英辞書
中王国時代[なか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
王国 : [おうこく]
 【名詞】 1. kingdom 2. monarchy 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [とき]
  1. (n-adv,n) (1) time 2. hour 3. (2) occasion 4. moment 
時代 : [じだい]
  1. (n-t) period 2. epoch 3. era 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

中王国時代 ( リダイレクト:エジプト中王国 ) : ウィキペディア日本語版
エジプト中王国[えじぷとちゅうおうこく]

エジプト中王国(エジプトちゅうおうこく 紀元前2040年頃 - 紀元前1782年頃)は、古代エジプト史の時代区分。第11王朝メンチュヘテプ2世(前2060年 - 前2010年)によるエジプト統一から、第12王朝の終了までの時代を指す場合が多い。ただし、第13王朝第14王朝を中王国時代に分類する考え方も支持を受けている。第1中間期の長い混乱を脱して様々な文化芸術が花開いた時代であり、エジプト文学の古典といわれる作品群もこの時代に形成された。
== 概略 ==
第6王朝末期の混乱でメンフィスを拠点とした古王国が崩壊した後、第1中間期と呼ばれる長い混乱を経て、ナイル三角州に接したメンフィスではなく、ずっと上流のテーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメンアメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。〕)に成立した第11王朝の王メンチュヘテプ2世が、ヘラクレオポリス(古代エジプト語:ネンネス〔ヘラクレオポリスという名は、この都市で祭られていた地方神ヘリシェフギリシア人がハルサフェスと呼び、名前の類似等からヘラクレスと同一視したことによって付けられたギリシア語名である。〕)を拠点にしていた第10王朝を倒し、紀元前2040年頃にエジプトを再統一した。これ以後を中王国と呼ぶ。テーベの政権によってエジプトが統一されたことで、テーベのエジプトにおける重要性は著しく高まった。
第11王朝は中央集権化を急ぎ、メンチュヘテプ2世の強力な指導力の下で敵対的な州侯や地方有力者の地位を退け、王に忠実な州侯を任じるとともに、中央政府にはテーベ出身の役人を多用した。しかし、このような急速な中央集権化は各地の有力者の反発を買い、メンチュヘテプ2世の死後20年余り後、地位を失った有力者らの支持を背景とした宰相アメンエムハト1世(前1991年 - 前1962年)によるクーデターによって第11王朝の政権は崩壊し、新たに第12王朝が成立した(紀元前1991年頃)。アメンエムハト1世は首都を古王国時代の首都メンフィスに近い場所に築いたイチ・タウィへと遷し、第11王朝時代に退けられた有力者達の地位を回復させる一方、息子のセンウセルト1世(前1971年 - 前1926年)を自分の生きてるうちに共同王につけるなど王権の安定化策を図った。
しかし、有力者達の支持によって政権を奪った第12王朝の王達も第11王朝の王達と同じく中央集権化と地方有力者の勢力削減を目指した。彼らは急激な改革のためにクーデターに倒れた第11王朝の轍を避けるべく、中央集権化をゆっくりと長期間かけて推し進めた。こうした努力は遂にセンウセルト3世(前1878年 - 前1841年)の時代に結実した。彼はそれまでの王達によって養成されていた官僚達を活用し「行政改革」を断行、地方有力者達の勢力を弱体化させて中央集権化を完了した。これによって強力な官僚機構が成立したが、特定の部局や官僚に勢力が集中するのを避けるため、1つの事項の決定に必ず複数部局が関与する方式が採用された。全国土は北、南、最南の三つに分割され、州の自治権も大幅に削減された。
センウセルト3世の跡を継いだアメンエムハト3世(前1842年 - 前1797年)も安定した統治を続けたが、彼の死後間もなく、第12王朝では女王セベクネフェルが即位した。女王の即位は男系王統の断絶を示すものである可能性が高い。セベクネフェル女王の治世を以って第12王朝の統治は終わり、後継政権として第13王朝が成立した。第13王朝時代には王権は著しく弱体化したが、第12王朝時代に形成された官僚機構がそのまま引き継がれ、その最高位である宰相が事実上の統治者として支配を継続した。しかし第13王朝時代の終盤には、下エジプトナイル川デルタ地帯)東部にクソイスを拠点とした第14王朝が成立してエジプトの統一は再び崩壊した。中央政権が崩壊したエジプトではヒクソスと呼ばれる異民族によって第15第16王朝が打ち立てられて行くことになる。
なお、通常第12王朝の崩壊を以って第2中間期が始まったとされるが、第13王朝を中王国に含める考え方も有力である。また第14王朝の歴史も中王国時代に含める学者もいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「エジプト中王国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Middle Kingdom of Egypt 」があります。




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