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中原中也 : ミニ英和和英辞書
中原中也[なかはら ちゅうや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中原 : [ちゅうげん]
 【名詞】 1. middle of a field 2. middle of a country 3. field of contest 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
: [なり]
 (n) a sum of money

中原中也 : ウィキペディア日本語版
中原中也[なかはら ちゅうや]

中原 中也(なかはら ちゅうや、1907年明治40年)4月29日 - 1937年昭和12年)10月22日)は、日本詩人歌人翻訳家旧姓柏村。夭折したが350篇以上もの詩を残し、一部は、中也自身が編纂した詩集『山羊の歌』、『在りし日の歌』に収録されている。訳詩では『ランボオ詩集』を出版するなど、フランス人作家の翻訳もしている(他に少量だがアンドレ・ジイドほか)。日本大学予科中央大学予科などを経て東京外国語学校(現在の東京外国語大学)専修科仏語部修了。
==略年譜==

* 1907年明治40年)
: 4月29日 - 山口県吉敷郡下宇野令村1915年山口町に編入。現在の山口市湯田温泉)に父柏村謙助、母フクの長男として生まれる。父謙助は当時陸軍軍医として旅順にいた。
* 1909年(明治42年)
: 父謙助の転任に従って広島に移り住む。
* 1912年(明治45年・大正元年)
: 金沢に移り住む。
* 1914年(大正3年)
:3月 - 父謙助朝鮮龍山聯隊軍医長となったため、家族は山口に戻る。
:4月 - 下宇野令尋常高等小学校入学。
* 1915年(大正4年)
: 1月 - 弟の亜郎が病死する。弟の死を歌ったのが最初の詩作だと、中也は後に書いている。
: 8月 - 父謙助山口に帰任。
: 10月 - 中原家との養子縁組を届け出て、一家は中原姓となる。
* 1917年(大正6年)
: 4月 - 父謙助は願によって予備役に編入され、中原医院を受け継いだ。
* 1918年(大正7年)
: 5月 - 山口師範附属小学校(現・山口大学教育学部附属山口小学校)に転校。
* 1920年(大正9年)
: 2月 - 雑誌『婦人画報』、『防長新聞』に投稿した短歌が入選。
: 4月 - 県立山口中学(現山口県立山口高等学校)に入学。
* 1922年(大正11年)
: 5月 - 2人の友人とともに歌集『末黒野』を刊行。
* 1923年(大正12年)
:3月 - 落第。京都の立命館中学第3学年に転入学。
:晩秋 - 高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』に出会い、ダダイズムに傾倒するようになる。
:冬 - 劇団表現座の女優で広島出身の長谷川泰子を知り、翌年より同棲
* 1924年(大正13年)
: 富永太郎と出会い、フランス詩への興味を抱く。
* 1925年(大正14年)
: 小林秀雄と出会う。
:3月 - 泰子とともに上京。当初早稲田大学予科を希望していたが進路変更。
:11月 - 泰子が小林の元に去る。富永太郎病没。
* 1926年(大正15年・昭和元年)
:4月 - 日本大学予科文科へ入学するも9月に退学する。
:11月頃 - アテネ・フランセへ通う。『山繭』に『夭折した富永』を寄稿。
* 1927年(昭和2年)
: 12月 - 作曲家諸井三郎と出会い、音楽団体「スルヤ」に出入りするようになる。
* 1928年(昭和3年)
: 5月 - 「スルヤ」第2回発表会にて、諸井三郎が中也の詩に作曲した『朝の歌』『臨終』が歌われる。父謙助死去。葬儀に帰省参列しなかった。
* 1929年(昭和4年)
: 4月 - 河上徹太郎大岡昇平らとともに同人誌『白痴群』を創刊。翌年終刊するまでに6号を刊行。
* 1930年(昭和5年)
: 9月 - 中央大学予科に編入学。フランス行の手段として外務書記生を志す。
* 1931年(昭和6年)
: 4月 - 東京外国語学校専修科仏語部に入学。上田敏雄と出会う。
* 1933年(昭和8年)
:『ランボオ詩集(学校時代の詩)』を三笠書房より刊行。
:3月 - 東京外国語学校を修了。
:5月 - 同人誌『紀元』に参加。
:12月 - 遠縁にあたる上野孝子と結婚する。
* 1934年(昭和9年)
: 10月 - 長男文也が生まれる。年末には、『山羊の歌』を刊行。
* 1935年(昭和10年)
: 5月 - 『歴程』が創刊され同人となる。12月には「青い瞳」を『四季』に発表。
* 1936年(昭和11年)
: 秋 - NHKの初代理事だった親戚中原岩三郎の斡旋で、放送局(NHK)入社の話があり、面接に行ったが、実現しなかった。
:11月 - 文也死去。子供の死にショックを受け、精神が不安定になる。次男愛雅が生まれる。
* 1937年(昭和12年)
:1月 - 千葉市中村古峡療養所に入院。
:2月 - 退院後、神奈川県鎌倉町扇ヶ谷に転居。
:夏 - A・Kのラジオ放送で、草野心平が中也の「夏」を朗読する〔『文學界』1937年12月号〕。
:9月 -『ランボオ詩集』を野田書店より刊行。『在りし日の歌』原稿を清書、小林秀雄に託す。
:10月 - 故郷に移住の予定であったが、結核性脳膜炎を発症し、同月22日に死去。戒名放光院賢空文心居士。墓所は山口市吉敷。
* 1938年(昭和13年)
:1月 - 次男愛雅死去。
:4月 - 創元社より『在りし日の歌』を刊行。
* 1994年平成6年)
: 山口市湯田温泉の生家跡地に中原中也記念館が開館
* 1996年(平成8年)
: 山口市等が新たに中原中也賞を創設

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中原中也」の詳細全文を読む




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