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リャザン : ウィキペディア日本語版
リャザン

リャザンリャザニリャザーニ)は、ロシアの都市である。リャザン州の州都。オカ川の右岸、オカ川にトルベジ川が注ぐ地点近くに位置し、オカ川の重要な河港である。鉄道モスクワウラジーミルなどと結ばれている。高速道路M5が走る。人口は521,700人(2002年)。モスクワから南東に196km。条件反射の研究で有名なイワン・パブロフはリャザンの出身。
== 歴史 ==

もともと、リャザン公国首都リャザンは、現在のリャザンから南東に50kmほどのオカ川下流に位置していた(スパッスク=リャザンスキー近郊、現在のスターラヤ・リャザーニ の村)。フィン・ウゴル系民族のいた地に進出してきたスラヴ人は8世紀頃から現在のリャザンの場所に木造で要塞を築いたとみられる。現在のリャザン・クレムリンのうち最古の部分は12世紀に遡る。
現在のリャザンが記録に初出したのは1095年のことで、当時はペレスラヴリ(, Pereslavl)と呼ばれ、旧リャザン(スターラヤ・リャザーニ)を中心に1078年から存在したリャザン公国の一部だった。ペレスラヴリには1095年にはすでに聖ニコライ聖堂が存在しており一帯の精神的中心であったが、この聖堂は1611年の戦争で破壊されている。その他にも聖ボリスとグレブ聖堂など多くの聖堂が建ち、ムーロムとリャザンの主教、およびムーロム=リャザンの大公も屋敷を構えていた。
オカ川沿いに建つ旧リャザンおよびペレスラヴリは、北欧方面とヴォルガ川流域・中央アジアを結ぶ交易都市であり、その繁栄は12世紀のアラブの旅行者アブ・ハーミド・アル=ガルナーティー(Abu Hamid al-Gharnati)の旅行記にも記されている。北の森林地帯と南のステップ地帯の境界に位置する街であったが、ハザールペチェネグポロヴェツなどステップからの侵入者による襲撃が絶えなかった。またルーシ諸公国同士の争いも多く、1176年にはコロムナをめぐりキエフ大公と対立し、1180年にはペレスラヴリがフセヴォロド3世の軍により占領され焼き尽くされ、大公の部下たちや主教までがウラジーミルへと連行された。
13世紀初頭にはリャザン公国にはつかの間の平穏が訪れ、旧リャザンは15,000人、ペレスラヴリは2,000人ほどの人口を抱えていた。しかし旧リャザンは1237年12月21日モンゴル帝国バトゥルーシ侵攻によって略奪破壊されたロシア最初の街となり、これ以後再建は進まず結局立ち直らなかった。リャザン公国の町々もことごとく灰燼に帰したが、ペレスラヴリは当時経済的重要性も失われておりほぼ無傷で残った。13世紀末には主教もペレスラヴリに戻り、14世紀初頭にはリャザン公国の首都は55km離れたペレスラヴリに移され、ペレスラヴリ・リャザンスキー(, Pereslavl-Ryazansky)と呼ばれるようになった。これが現在のリャザンである。
大公オレグ・イヴァノヴィチ(オレグ・リャザンスキ、1340年-1402年)の治世にはペレスラヴリ・リャザンスキーのクレムリンは南ロシア最大を誇り、世俗的にも宗教的にも大きな力を持った。しかしやがてモスクワ大公国の力がリャザン公国を上回る。1380年にはロシア史上でも有数の大きな決戦であるクリコヴォの戦いが起きた。リャザン大公オレグ・イヴァノヴィチの軍はジョチ・ウルスママイ・ハーンリトアニア大公国と連合し、ウラジーミル大公ドミートリー・ドンスコイ率いる軍と戦った。この戦いでリャザン大公やジョチ・ウルスは敗れ、ロシアが「タタールのくびき」から脱する第一歩となったとともにモスクワ大公国の力が伸張するきっかけとなった。
1521年にリャザン公国はモスクワ大公国に併合される。1708年よりモスクワ県に編入。1778年、ペレスラヴリ・リャザンスキーはリャザンと改称され、1796年よりリャザン県の県都となった。19世紀後半、鋳鉄、ウォッカ醸造、製脂などの産業が発達した。
1904年、リャザンにロシア最初の社会民主主義グループが誕生。リャザンの労働者たちは1905年ロシア第一革命に参加した。1917年11月8日旧暦10月26日)から11月12日旧暦10月30日)にかけてソヴィエトがリャザンに樹立された。1937年より、リャザン州の行政の中心となっている。ソヴィエト期に入って、第二次世界大戦までに食品加工、木材加工などが発達した。
第二次大戦ではドイツ軍に占領されず、戦後は自動車製造なども発展し、軽工業都市から重工業都市へと変貌した。現在では工作機械、金属加工、計器製造,石油化学などが盛ん。またパラシュート部隊下級士官の養成機関であるリャザン空挺軍大学も有名。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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