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リッシュモン大元帥 : ミニ英和和英辞書
リッシュモン大元帥[そつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大元帥 : [だいげんすい]
 【名詞】 1. commander-in-chief 2. generalissimo
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
元帥 : [げんすい]
 【名詞】 1. (field) marshal 2. (fleet) admiral 3. general of the army 
: [そつ]
 (n) (ancient) governor

リッシュモン大元帥 ( リダイレクト:アルテュール3世 (ブルターニュ公) ) : ウィキペディア日本語版
アルテュール3世 (ブルターニュ公)[あるてゅーる3せい]

アルテュール・ド・リッシュモン(Arthur de Richemont, 1393年8月24日 - 1458年12月26日)は、中世フランスの貴族・軍人。百年戦争後半にフランス王軍司令官fr)として活躍した。「正義の人」(Le Justicer)の異名がある。後にブルターニュアルテュール3世(Arthur III de Bretagne, ブルトン語:Arzhur III a Vreizh, 在位:1457年 - 1458年)ともなった。
ブルターニュ公ジャン4世ナバラカルロス2世(悪人王)の娘ジャンヌ・ド・ナヴァールの次男で、当初パルトネー卿、リッチモンド伯(名目のみ)、後に甥(兄の子)のピエール2世の跡を継ぎブルターニュ公アルテュール3世となった。他にトゥーレーヌ公、モンフォール伯、イヴリー伯の称号も併せ持ち、トネール伯領も併せ持った。また、フランス元帥の地位に就いた。
リッチモンド伯は、ノルマン・コンクエスト以来ブルターニュ公にたびたび与えられてきたイングランドの爵位であるが、ジャン4世の死後はベッドフォード公ジョンに与えられていた。しかしブルターニュ公家ではその後も伯位を自称してアルテュールに与えたため、アルテュールはリッシュモン(リッチモンドのフランス語読み:リシュモン、或いはリシュモーンが発音に近いが、日本ではリッシュモンと慣用的に呼ぶ)と呼ばれた。リッシュモン大元帥とされることが多い。
アルテュールは様々な称号を持つものの、その前半生においては実収をそれらの領地からはほとんど得ることができず、実兄のブルターニュ公ジャン5世の援助などに頼っていた。
== 概要 ==
1410年から1414年のフランスの内乱ではアルマニャック派(fr)に属してブルゴーニュ派(fr)と対立、1415年アジャンクールの戦いでは負傷してイングランド軍の捕虜となったが、1420年に解放され、トロワ条約を承認するよう兄のジャン5世を説得した。1422年にはイングランドからトゥレーヌ公に叙爵されたが、1424年にフランス王シャルル7世の陣営に戻った。翌1425年に王軍司令官に任じられ、1429年パテーの戦いではジャンヌ・ダルクや甥のアランソン公ジャン2世と共に戦った。ブルターニュ公になる以前からフランス宮廷において重要な存在であり、カリスマとなったジャンヌ・ダルクの支持者の1人であった。
リッシュモンは頑固さと癇癪のために1427年には宮廷から追放されているが、1433年に宮廷闘争の勝利により、シャルル7世の寵臣を追放して影響力を取り戻し、1435年に締結されたシャルル7世とブルゴーニュフィリップ3世(善良公)とのアラスの和約を取りまとめた中心人物の1人となった。この和約によりフランスとブルゴーニュは和平を結び、イングランドを敗北に導いた。そして1450年フォルミニーの戦いでフランス軍を率いイングランド軍に勝利し、ノルマンディーを再征服した。
ブルターニュ公の一族であるため、単なる軍人としてではなく政治的な動きも多く、フランス、イングランド、ブルゴーニュの間で揺れたり、その仲を取り持ったりと複雑な動きをしている。またシャルル7世の宮廷においても、王妃マリー・ダンジューの母であるアラゴン王女ヨランド・ダラゴン派として宮廷闘争に加わっている。しかし、決定的な戦闘における勝利と王軍の改革に貢献し、百年戦争をフランスの勝利に導いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルテュール3世 (ブルターニュ公)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Arthur III, Duke of Brittany 」があります。




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