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ジョーン・オブ・ナヴァール : ミニ英和和英辞書
ジョーン・オブ・ナヴァール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョーン・オブ・ナヴァール : ウィキペディア日本語版
ジョーン・オブ・ナヴァール[ちょうおん]

ジョーン・オブ・ナヴァールJoan of Navarre, 1370年? - 1437年6月10日)は、イングランド国王ヘンリー4世の王妃。ナバラ国王カルロス(シャルル)2世と王妃フアナ(ジャンヌ、フランスジャン2世の娘)の娘。兄はカルロス(シャルル)3世フランス語ジャンヌ・ド・ナヴァールJeanne de Navarre)。
最初の夫はブルターニュ公ジャン4世であった。ヘンリー・オブ・ボリンブロク(後のヘンリー4世)がリチャード2世により追放され、ブルターニュに居をかまえたとき、当時公爵夫人だった彼女を見そめたという。
1403年、亡夫との間にできた子供らをブルターニュに残し、ヘンリーと結婚した。王との間に子はできなかった。王の没後、妖術に凝ったとして、イングランド南部ペヴンジーに幽閉された。
1437年に亡くなると、カンタベリー大聖堂に眠る夫のそばに埋葬された。
== 子女 ==
最初の夫ジャン4世との間に9人の子女をもうけた。
*ジャンヌ(1387年 - 1388年)
*次女(名前不明、1388年)
*ジャン5世(1389年 - 1442年) - ブルターニュ公
*マリー(1391年 - 1446年) - 1398年、アランソン公ジャン1世と結婚
*マルグリット(1392年 - 1428年) - 1407年、ロアン子爵アラン9世と結婚
*アルテュール3世(1393年 - 1458年) - ブルターニュ公
*ジル(1394年 - 1412年) - シャントセ領主
*リシャール(1394年 - 1438年) - エタンプ伯
*ブランシュ(1397年 - 1416年頃) - 1407年、アルマニャック伯ジャン4世と結婚



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョーン・オブ・ナヴァール」の詳細全文を読む




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