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ジョーン・オズボーン : ミニ英和和英辞書
ジョーン・オズボーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョーン・オズボーン : ウィキペディア日本語版
ジョーン・オズボーン[ちょうおん]

ジョーン・オズボーン(Joan Elizabeth Osborne, 1962年7月8日 - ) は、アメリカシンガーソングライターである。
== 経歴 ==
ケンタッキー州に生まれたオズボーンは、当初は映画業界に進むことを希望しており、1980年代後半に地元を離れてニューヨーク大学の映画学校に入学した。しかし、ニューヨークでの学生生活は楽ではなく、高い学費や生活費を稼ぐためアルバイトに明け暮れ、そのために1学期間、丸々休学していたこともあった。ある日、同じアパートの友人と近所のブルースバーに出かけ、ビリー・ホリデイの「God Bless the Child」を飛び入りで歌ったところ好評を得たため、このバーに歌手として出演するようになった。これがミュージシャンとしてのキャリアのスタートであった。
当初はあくまで「学費を貯めるため」だったというが、バーや他のクラブなどで歌いながら、そこで出会ったミュージシャンたちとバンドを組み、自らインディーズレーベル「Womanly Hips」を作ってCD制作をするなど、次第に音楽活動に専念するようになっていった。やがてプロデューサーのリック・チャートフに見い出され、1995年、チャートフのプロデュースによるアルバム『レリッシュ』(''Relish'') でメジャーデビューを果たす。アルバム収録曲である「ワン・オブ・アス」("One of Us") がビルボード誌のトップ10入りする大ヒットとなり、この曲が映画『バニラ・スカイ』『ブルース・オールマイティ』のサウンドトラックに使われたり、またグラミー賞にも8部門でノミネートされる(結果的に受賞はなかった)など、オズボーンは一躍、人気ミュージシャンの仲間入りをした。
1996年、インディーズ時代の音源をまとめた『Early Recordings』をリリース。1998年にはサラ・マクラクランが始めた女性ミュージシャンのみのコンサート「リリス・フェア」(Lilith Fair) に出演し、シェリル・クロウフィオナ・アップルスザンヌ・ヴェガらと共にステージに立った。
この頃のオズボーンは、映画のサウンドトラックや他ミュージシャンの曲にゲスト参加するなど堅調な活動を続けていたが、自らのニューアルバムの企画はなかなか進まなかった。やがて、自らの興味に従った音楽を作りたいオズボーンと「ワン・オブ・アス」のようなポップな曲の量産を望んでいたレコード会社との間で、音楽性について意見の相違が出てきたこともあり、ついに1999年、オズボーンは所属するマーキュリー・レコードから契約の解除を通告される。しかし「自分のアーティストとしての才能を信じなくてはいけないと思った」というオズボーンは、音楽活動を諦めず、プロデューサーのミッチェル・フルームと共に新作アルバムの制作に取りかかった。その後、インタースコープ・レコードとの契約を得て、2000年、オリジナルアルバムとしては『レリッシュ』以来となる『Righteous Love』を発表した。
2002年、新たにインディーズレーベルのコンペンディアと契約し、ロックやソウルの曲をカバーしたアルバム『How Sweet It Is』をリリース。このアルバムは、長らくモータウンのバックバンドとして活動してきたファンク・ブラザースと共演したことがヒントになって制作されたといわれる。なお、ファンク・ブラザースとの共演の模様は、同年に公開されたドキュメンタリー映画『永遠のモータウン』に収められている。
2003年ディクシー・チックスザ・デッドのツアーに請われて参加するなど、しばらく他のミュージシャンのプロジェクト中心の活動を続けた後、2006年に『Pretty Little Stranger』、2007年に『Breakfast in Bed』、2008年に『Little Wild One』のアルバムを発表している。2009年にはチープ・トリックによるビートルズのカヴァーアルバム『Sgt. Peppers Live』にゲストボーカリストとして参加した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョーン・オズボーン」の詳細全文を読む




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