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ジョーン・オブ・ケント : ミニ英和和英辞書
ジョーン・オブ・ケント[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョーン・オブ・ケント : ウィキペディア日本語版
ジョーン・オブ・ケント[ちょうおん]

ジョーン・オブ・ケント(, 1328年9月29日 - 1385年8月7日)は、イングランドエドワード黒太子の妃で最初のプリンセス・オブ・ウェールズ。フェア・メイド・オブ・ケント(The Fair Maid of Kent)と呼ばれた。エドワード2世の異母弟である初代ケント伯エドマンド・オブ・ウッドストックと妻マーガレット・ウェイクの娘。3度結婚しており、エドワード黒太子は最後の夫である。
1340年にトマス・ホランド(1314年頃 - 1360年)と最初の結婚をしたが、この結婚は秘密結婚であり、間もなく家族によって第2代ソールズベリー伯ウィリアム・モンタキュート(1328年 - 1397年)と結婚させられている。のち、1349年にローマ教皇クレメンス6世により、ジョーンはソールズベリー伯との結婚の無効、およびトマス・ホランドの結婚の有効が認められた。1352年にジョーンの弟である第3代ケント伯ジョン(1330年 - 1352年)の死によりジョーンは夫トマス・ホランドとともにケント伯を継承した。2人の間に生まれた子供は4人が知られている。
* トマス・ホランド(1350年 - 1397年) ケント伯(第2代)
* ジョン・ホランド(1352年頃 - 1400年) エクセター公(初代)
* ジョーン・ホランド(1384年没) ブルターニュ公ジャン4世と結婚
* モード・ホランド(1392年没) サン=ポル伯・リニー伯ワレラン3世と結婚
1360年にトマス・ホランドと死別した後、翌1361年にエドワード黒太子と再婚した。ジョーンは黒太子の父エドワード3世の従妹に当たる。黒太子との間には2男をもうけた。
* エドワード・オブ・アングレーム(1365年 - 1372年)
* リチャード2世(1367年 - 1400年) イングランド王
== 参考文献 ==
;全て英語文献。
*
* ''The Times Kings & Queens of The British Isles'', by Thomas Cussans (page 92) ISBN 0-0071-4195-5
*




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョーン・オブ・ケント」の詳細全文を読む




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