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ヘンリー4世 : ミニ英和和英辞書
ヘンリー4世[よ, せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ヘンリー4世 ( リダイレクト:ヘンリー4世 (イングランド王) ) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー4世 (イングランド王)[へんりー4せい]

ヘンリー4世Henry IV, 1367年4月3日 - 1413年3月20日)は、イングランド国王(在位:1399年 - 1413年)。エドワード3世の第3子ジョン・オブ・ゴーントと初代ランカスター公ヘンリー・オブ・グロスモントの次女ブランシュの長男。リンカンシャーのボリングブロク城で生まれたので、ヘンリー・ボリングブロク(Henry Bolingbroke)とも言われる。即位前はヘリフォード伯、ダービー伯
1380年、ヘリフォード伯ハンフリー・ド・ブーンの次女メアリーと結婚。1390年から1392年にかけてドイツ騎士団リトアニア遠征に加わった。
1398年、従兄のリチャード2世トマス・モウブレーとの諍いを咎められ、パリに追放されて相続権を奪われ、翌年に父が死んで残ったランカスター公領も没収された。1399年7月4日にイングランドに上陸。8月にはアイルランド遠征から帰還途中のリチャード2世をウェールズとの国境で破り、リチャードを逮捕した。9月30日、議会はリチャード2世の廃位とヘンリーの王位継承を議決、ランカスター朝を開いた。
治世の初期、ウェールズでのオワイン・グリンドゥール(オウェイン・グレンダワー)の(1400年 - 1415年)や、との(1402年)、ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーホットスパー父子のなどに悩まされたが、長男のハル(ヘンリー5世)らの働きもあって晩年の治世は安定した。
1403年ブルターニュ公ジャン4世の未亡人ジャンヌ・ド・ナヴァール(ジョーン・オブ・ナヴァール)と再婚する。子供はいない。
1406年スコットランドロバート3世の嗣子ジェームズ(後のジェームズ1世)を捕らえ、人質とした。
1407年、父の3度目の夫人キャサリン・スウィンフォードとの間に生まれたジョン・ボーフォートら4人の異母弟妹たちが将来の王位継承の不安材料となるため、「キャサリンの子女の嫡出は認めるが、王位継承の権利は排除する」と改めた。
1413年3月20日、リトアニア遠征の時にかかった伝染性疾患のため、ウェストミンスター・アベイで死去した。
== 子女 ==
最初の妻メアリーとの間に5男2女を儲けた。
* エドワード(1382年)
* ヘンリー5世(1387年 - 1422年)
* トマス(1388年 - 1421年) - クラレンス公
* ジョン(1389年 - 1435年) - ベッドフォード公
* ハンフリー(1390年 - 1447年) - グロスター公
* ブランシェ(1392年 - 1409年) - プファルツ選帝侯ルートヴィヒ3世と結婚
* フィリッパ(1394年 - 1430年) - デンマークスウェーデンノルウェーの王エーリク7世と結婚

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー4世 (イングランド王)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Henry IV of England 」があります。




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