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キャサリン・スウィンフォード : ミニ英和和英辞書
キャサリン・スウィンフォード[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

キャサリン・スウィンフォード : ウィキペディア日本語版
キャサリン・スウィンフォード[ちょうおん]

キャサリン・スウィンフォード(''Katherine'' もしくは ''Katharine'', ''Catherine'', 旧姓はキャサリン・ドゥ・ルート, 1350年11月25日 - 1403年5月10日)は中世イングランドランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの愛人で後に3番目の妻になる。彼女の子は臣籍降下して名門ボーフォート家を興す。ジョン・オブ・ゴーントの最初の妻ブランシュの息子は即位してヘンリー4世となっている。
== 2度の結婚 ==
キャサリンはペイン・ドゥ・ルート〔ペイン・ドゥ・ルート (Payne (or Paen) de Roet (or Rouet or Roelt) : エノー出身のフランドル紋章官で戦死する間際に騎士に叙された。〕の娘として生まれた。彼女は16歳の時(1366年頃)にヒュー・スウィンフォード〔スウィンフォード(Swynford) : 資料によってはシンフォード (Synford) と表す場合もある。〕と結婚した。ヒューはケトルソープ (Kettlethorpe) に邸宅をもつ裕福な騎士であり、2人の間に2人以上の子を授かったが、彼女の父と同様に大陸で戦死してしまう。
ヒュー・スウィンフォードに先立たれた後、彼女はランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの邸宅に入る。表向きはジョン・オブ・ゴーントの妻ブランチェ・オブ・プランタジネットに呼ばれた「ジョンの2人の娘たちの家庭教師」という名目であった。この公妃ブランチェは1369年に亡くなった。〔この公妃ブランチェを題材にしたと言われている「公妃の書」という詩を書いたジェフリー・チョーサーは、キャサリンの妹フィリッパと結婚した義弟である。〕 ずっと後、1394年に2番目の妻であるコンスタンス・オブ・カスティルが亡くなると、1396年1月13日にジョンとキャサリンはリンカーン大聖堂で結婚し、ジョンが亡くなるまでの3年間を夫婦として過ごしている。
1403年5月10日、キャサリンはジョンの死の4年後に亡くなった。彼女と娘のジョウンはリンカーン大聖堂の聖壇に埋葬されたが、その墓所は1644年清教徒革命の内戦の折に清教徒の略奪を受けた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「キャサリン・スウィンフォード」の詳細全文を読む




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