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ビル・ダンディー : ミニ英和和英辞書
ビル・ダンディー[びる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビル : [びる]
 【名詞】 1. (abbr) building 2. bill 3. (P), (n) (abbr) building/bill
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ビル・ダンディー : ウィキペディア日本語版
ビル・ダンディー[びる]

ビル・ダンディーBill Dundee、本名:William Crookshanks1943年10月24日 - )は、イギリススコットランドダンディー出身の元プロレスラー
全盛時はアメリカ合衆国テネシー地区を主戦場にベビーフェイスのローカル・ヒーローとして活躍、ジェリー・ローラーに次ぐ人気を博した。息子のJ・C・アイスことジェイミー・ダンディーもプロレスラーである。
== 来歴 ==
幼少時にスコットランドダンディーからオーストラリアメルボルンに移住。サーカスアクロバットを経て、1967年ジム・バーネット(後のGCWプロモーター)が当時オーストラリアで主宰していた団体にてデビュー。生誕地をリングネームに用い、ウィリアム・ダンディーWilliam Dundee)の名義で1970年代前半までオーストラリアで活動した。
1974年アメリカへ渡り、テネシーNWAミッドアメリカ地区に定着。ベビーフェイススーパースター・ビル・ダンディー"Superstar" Bill Dundee)を名乗り、ヒール時代のジェリー・ローラーをはじめ、モンゴリアン・ストンパートージョー・ヤマモトジプシー・ジョーロジャー・カービーデビッド・シュルツデニス・コンドリーらと激闘を展開、1977年にはローラーを相手にNWA南部ヘビー級王座を巡る抗争を繰り広げた。なお、ダンディーはホンキー・トンク・マンに先駆け、自身と同じくケルト系の出自を持つメンフィス出身のエルヴィス・プレスリーへのオマージュとして、ジャンプスーツをリングコスチュームにしていた〔『THE WRESTLER BEST 1000』P246(1996年、日本スポーツ出版社)〕。
1970年代末にジェリー・ローラーとジェリー・ジャレットがテネシー州メンフィスCWAを発足させると、ブッカー兼任の主力ベビーフェイスとして同団体に参戦。以降1980年代全般に渡ってCWAを主戦場に、フェイスターンしたローラーやトミー・リッチと組んでタッグ王座を再三獲得。シングルではロン・バスポール・エラリングテリー・テイラーダッチ・マンテルらを破り、NWAからAWAの認定タイトルとなった南部ヘビー級王座を(NWA認定時代を含め)通算13回獲得した〔。新設されたCWA世界ヘビー級王座にも、1980年8月4日にビル・ロビンソンを破って戴冠している。軽量級戦線でも活躍し、1981年6月1日にスタン・レーンを下してCWA認定のUSジュニアヘビー級王座を獲得。他地区ではビル・ワットが主宰していたMSWAにて、1984年11月7日にエイドリアン・ストリートからTV王座を奪取した。
また、状況に応じてヒールターンを行い、1980年代半ばには、かつてのジェリー・ローラーとの抗争劇を(フェイスとヒールのポジションを入れ替えた形で)再現した。その後はベビーフェイスに戻り、再びローラーと組んでトミー・リッチ&オースチン・アイドルと抗争を展開。1987年7月6日にはロッキー・ジョンソンをパートナーに、ポール・ダイヤモンド&パット・タナカのバッド・カンパニーからCWAインターナショナル・タッグ王座を奪取。10月にはローラーとのコンビでAWA世界タッグ王座を2回獲得した。
1989年からはCWAの後継団体であるUSWAに参戦し、トム・プリチャード、ダニー・デービス、エリック・エンブリーなどを相手に主にジュニアヘビー級戦線で活動。1992年5月には、当時USWAと接点を持っていたW★INGプロモーションの招聘で初来日が実現、W★ING認定世界ジュニアヘビー級王座の初代王者決定リーグ戦に出場した。
1993年にUSWAはWWFとの提携を開始するが、ダンディーはUSWAを離脱してヒールのマネージャーとしてWCWに登場。英国紳士ギミックサー・ウィリアムSir William)に変身し、ロード・スティーブン・リーガルセコンド役を担当した。また、当時のWCWではリック・フレアーケビン・サリバングレッグ・ガニアマイク・グラハムらと共に、ブッキング・コミッティの常任メンバーとなってプロデュース業務にも携わっていた〔リック・フレアー、キース・エリオット・グリーンバーグ共著『リック・フレアー自伝 トゥー・ビー・ザ・マン』P375(2004年、エンターブレイン、ISBN 4757721536)〕。
その後はUSWAに復帰し、1995年2月25日にフラッグシップ・タイトルの統一世界ヘビー級王座をジェリー・ローラーから奪取したが、4月3日にレイザー・ラモンに敗れ短命王者に終わっている。タッグでもローラーとのコンビを復活させ、息子のJ・C・アイスウルフィー・Dの"PG-13" やバート・ソイヤー&フレックス・カバーナなどのチームを破り、USWA世界タッグ王座にも就いた。また、PG-13が1996年にWWF入りした経緯もあり〔ファルーク率いるネーション・オブ・ドミネーションの初期のエスコート役を担当。〕、自身も当時のWWFの下部団体OVWに出場。1997年11月、バトルロイヤルに優勝してOVWヘビー級王者に認定された〔。
2000年代にセミリタイアし、テネシー州ジャクソンバーを経営する一方、近年もメンフィス周辺のインディー団体にレジェンドとしてスポット参戦している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビル・ダンディー」の詳細全文を読む




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