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ロン・シモンズ : ミニ英和和英辞書
ロン・シモンズ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ロン・シモンズ : ウィキペディア日本語版
ロン・シモンズ

ロン・シモンズRon Simmons1958年5月15日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラージョージア州出身のアフリカ系アメリカ人WWE所属時代のリングネームファルークFaarooq)としての活躍で知られる。
== 来歴 ==
NFL選手。クリーブランド・ブラウンズに所属していた。アメリカンフットボール引退後、ヒロ・マツダのもとでトレーニングを積み1986年にプロレスラーとしてデビュー。NWAフロリダCWF)を主戦場とし、同年12月2日にカリーム・モハメッドからフロリダ・ヘビー級王座を奪取、翌1987年1月20日にバッドニュース・アレンに敗れるまで保持した。
1989年NWA-WCWに参戦。テディ・ロングマネージャーに、ブッチ・リードと黒人タッグチームドゥーム」を結成、1990年5月19日にリック&スコットスタイナー・ブラザーズを下し世界タッグ王座を獲得した。1991年3月には新日本プロレスに初来日している。
リードとのチーム解散後はベビーフェイスのシングルプレイヤーとして活躍し、1992年8月2日にビッグバン・ベイダーを破りWCW世界ヘビー級王座を奪取、WCW(NWA)史上初の、そして当時のアメリカン・プロレスにおいてボボ・ブラジル以来途絶えていた久々の黒人世界王者となった。
初期WCWではダスティ・ローデスともタッグを組むなどベビーフェイスのトップのポジションにいたが、エリック・ビショフらによる新体制への移行に伴い解雇される。1994年から1995年にかけてECWに参戦した後、1996年ヒールとしてWWF(現WWE)に登場。ネーション・オブ・イスラムをモチーフとした黒人至上主義軍団「ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)」を率いた。アーメッド・ジョンソンリージョン・オブ・ドゥームと抗争を展開したが、後にメンバーに加わったザ・ロックを売り出すWWFの方針により、1998年にNODからの追放アングルが組まれロックにリーダーの座を譲ることになる。
NOD追放後はベビーフェイスに転向するも中堅のポジションに甘んじていたが、1998年に「アコライツ」なるタッグチームをブラッドショーと結成。これが再浮上のきっかけとなり、以降ブラッドショーとは2004年まで行動を共にした。アコライツとして、ジ・アンダーテイカーミニストリー・オブ・ダークネスにも参加している。
2000年からは、アコライツ改め「アコライツ・プロテクション・エージェンシー(APA)」を結成。酒場で葉巻を吸いながらポーカーを行い、金さえ積めば用心棒を引き受ける荒くれ者のギミックを演じた。ブラッドショーとのタッグでは、ケイン&Xパックハーディー・ボーイズダッドリー・ボーイズらを破りWWFタッグ王座を通算3回獲得している。
その後体調の悪化等(タッグ戦に出場するも、一度もタッチを受けずにリングサイドで試合を終えたこともあった)により2004年3月からセミリタイア状態となり、ツアー宣伝部門のスタッフとして勤務。以降は裏方に徹し番組内に登場する機会はなかったものの、2006年10月のRAWにて、ジョン・シナマイクパフォーマンス中に突如現れマイクを奪い、決め台詞の「Damn !」だけを言って去るという、電撃的な復帰を果たす。硬派なイメージの強いシモンズだったが、以後毎週のように要所要所で登場して「Damn !」とだけ言って去っていくコミカルなキャラクターを演じ人気を博した。
また、同年のPPVサバイバー・シリーズではリック・フレアー率いるレジェンドチームの一員としてリングに復帰。2007年9月からダークマッチを数回こなした後、9月末のヒートからシングルでのリング復帰を果たす。その後も番組制作に携わりつつ、対ジョバーでの秒殺劇ではあるものの継続して試合に出場していたが、2009年1月にWWEを解雇された。
2010年11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版のRAWにゲスト出演、バックステージでダンスを踊るダスティ・ローデス、テッド・デビアスIRSジム・ドゥガンタタンカアクサナマリースらの前で、久々に「Damn !」を発した。
2012年WWE殿堂入りが実現。式典のインダクターは、かつてのパートナーであるブラッドショーことジョン・レイフィールドが務めた。同年7月23日のRAW1000回記念放送 "RAW 1000" では、リタヒース・スレイターのミックスド・マッチにおいて、リタのセコンドとしてブラッドショーとのAPAが復活。往年のレジェンドたち(ボブ・バックランドロディ・パイパーロード・ウォリアー・アニマルベイダーシッド・ビシャスなど)を愚弄し返り討ちにされたスレイターに「Damn !」の一声を浴びせた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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