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ノルマンディー号 : ミニ英和和英辞書
ノルマンディー号[ごう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 

ノルマンディー号 ( リダイレクト:ノルマンディー (客船) ) : ウィキペディア日本語版
ノルマンディー (客船)[ごう]

ノルマンディー(')は、1935年に建造されたフランス客船。「洋上の宮殿」と謳われた華麗さと就航期間の短さから、神格化すらされた伝説的な存在の客船である。1942年アメリカ海軍により接収され「ラファイエット(USS Lafayette)」と改名。)は、1935年に建造されたフランス客船「洋上の宮殿」と謳われた華麗さと就航期間の短さから、神格化すらされた伝説的な存在の客船である。1942年アメリカ海軍により接収され「ラファイエット(USS Lafayette)」と改名。
== 概要 ==

===世界最大の客船===
ノルマンディーはCGT(Compagnie Générale Transatlantique, カンパニー・ジェネラール・トランザトランティーク, 「大西洋横断総合会社」、英語圏では「フランスライン」の名で知られるフランスのフラッグキャリア)の発注により1931年に起工され、翌年1932年に進水・命名。全長がはじめて300mを超えた、世界最大の巨大客船であった。
CGT社はニューヨークル・アーヴル航路の急行サービスで老朽化したフランス(1910 en)の代替船案を計画した。数多くの定期航路を持つCGT社ではその代替船を数年置いて一隻づつ更新する方針で、速度が異なる高速船のパリ(1916 en)、イル・ド・フランスと新造船は1週間1便航海する計画〔 1939年4月18日パリ(1916 en)がサン・ナゼールで修理改装中、厨房から失火、消火の放水で横転沈没しこの運行計画は短期に終わった。〕で進められ姉妹船は存在しない(ただし、老朽化したパリ代替で本船就航後姉妹船として「ブルターニュ」を建造する予定だったが、財政難とヨーロッパにおける第二次世界大戦勃発の為中止)。
建造にあたってはフランスの威信をかけ、フランス政府とCGTが締結した郵便運送協定助成金のほか国家的な援助のもとで建造された。CGTの豪華客船フランス(1910 en)から3隻の集大成でノルマンディーの原案「T6計画」にブルーリボン賞を狙うべく最高速船計画が盛り込まれ、見積基礎設計の早い段階で高出力エンジンとこれに応じた巨大な船体が算出されていた。この建造案が認証されると即座にサン・ナゼールベノエ造船所は世界最大の専用船台を建築し〔通称ノルマンディ・ドック (en) で第二次世界大戦中に連合国側から破壊作戦が実施された。サン=ナゼール強襲の項目参照。〕 、いくつかの推進機関案から、ターボ・エレクトリック推進という、タグボートでは広く用いられていたものの1万トン超の客船では前例のないものを採用〔電気モーターが減速ギアとトルクコンバータに代わるこの機関は、狭い海域で細かな速度調整を求められる船舶で発達した。大型船舶では、アメリカ海軍の戦艦で多く採用され、当時の信頼性低い高出力ボイラーを調整しトルクを簡単に均一化出来る利点から燃費の節約が期待された。しかし高速定期便の巨大商船への採用は半ば実験的、大型舶用モーターの本場アメリカでのちに建造されたSSアメリカユナイテッド・ステーツは二段式減速ギアを搭載している。ノルマンディーは計画性能を達成したが整備などコスト面に問題が残った。〕、ペノエ3胴水管ボイラー29基とタービンに、高さ 6.4m、幅 5.8m、長さ 7.9mのモーター4基の構成で4軸合計最大定格出力160,000馬力を発揮するものとした。
船内アメニティを追求しエスプリ客船を印象づけ、「T6計画」を立ち上げながら急逝したCGT社長ジャン・ドール・ピアズ (John Dal Piaz) (fr) の遺志を継ぐべく、CGTのピエール・ロマノ主任設計技師監督の下、亡命ロシア人技師ウラジミル・ユルケヴィッチ (en) 提案の船体設計など当時最新の造船理論を採用。1931年1月26日船体番号No.534、T6B-Sとして起工、翌年10月29日にはフランス大統領アルベール・ルブラン夫妻出席で進水式が行われルブラン夫人は船名「S.S.ノルマンディー」を授けた。当日ロワール川を挟んで約二十万人が見物するなか行われ、潮位の計算不足や船体が起こす逆流で予想外の高波を呼び冠水災害を引き起こしたが怪我人はいなかった。1935年2月29日パリ元船長ルネ・ピュニエのもと処女航海に就いた〔フランスはウォール街大暴落 (1929年)の影響で1932年に係船、復帰すること無くノルマンディー就航後の1935年4月15日に売却のち解体された。〕。
船体インテリアではイル・ド・フランスで成功したキャビンレイアウトやアール・デコ様式満載の豪華な内装を引き継ぎ、ル・コルビュジェ(生活のための器械)の機能美、すなわち最新建築設備機器の発展を盛り込み、一方で旧式船のカウンター・スタンにならい敢えて広いリドデッキを最新鋭高速客船では冗長な解放空間を設ける一方、広く様々な角度で俯瞰しても調和のとれた均整な船形デザインを保つためダミー(偽装)で第三煙突を設置するなど外観には細心を払い「洋上の宮殿」の異名を取った。貨物船を多く所有し大型客船は他社模倣で特徴薄いCGTの船形デザインを刷新し、緻密に計算された船形デザインは世界に衝撃を与えのちに不朽の豪華客船と讃えられた。また建築や工業デザイン分野において高く評価されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ノルマンディー (客船)」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 SS Normandie 」があります。




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