翻訳と辞書
Words near each other
・ ジョン・マクドナルド (野球)
・ ジョン・マクドネル
・ ジョン・マクノートン
・ ジョン・マクファーソン・バーリエン
・ ジョン・マクファーソン・バーリン
・ ジョン・マクファーソン・ベリエン
・ ジョン・マクフィー
・ ジョン・マクマリー
・ ジョン・マクミラン
・ ジョン・マクラウド
ジョン・マクラフリン
・ ジョン・マクラーレン
・ ジョン・マクラーレン (造園家)
・ ジョン・マクリーン
・ ジョン・マクレラン
・ ジョン・マクレヴィ・ブラウン
・ ジョン・マクレーン
・ ジョン・マクレーン (架空の人物)
・ ジョン・マクレーン (郵政長官)
・ ジョン・マクローリン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ジョン・マクラフリン : ミニ英和和英辞書
ジョン・マクラフリン[らふ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough

ジョン・マクラフリン : ウィキペディア日本語版
ジョン・マクラフリン[らふ]

ジョン・マクラフリン(、John McLaughlin, 1942年1月4日 - )またはマハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン(Mahavishnu John McLaughlin)はイングランドヨークシャードンカスター出身のジャズ・ロックギタリスト。テクニシャンとして知られ、1970年代ジャズ・ロックシーンにおいて重要なグループマハヴィシュヌ・オーケストラリーダーだった。ジャズをはじめ、インド音楽フラメンコクラシックなどのスタイルも広く取り込んだ演奏を行っている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第49位、2011年の改訂版では第68位。
== バイオグラフィ ==
ロンドンでスタジオミュージシャンとしてキャリアを開始する。グレアム・ボンド・オルガニゼーション、ローリング・ストーンズジャック・ブルースなどのアルバムに参加。
ジョン・サーマン、トニー・オックスレーらと組んで1969年に初リーダー作「エクストラポレーション(''extrapolation'')」をリリース。ジャズ要素の濃い作品で、当時からジャズを主流にした非凡なセンス・テクニック・フィーリングの持ち主だった。
1969年にアメリカに渡り、トニー・ウィリアムスライフタイムに参加。マイルス・デイヴィスのセッションにも度々参加し、『イン・ア・サイレント・ウェイ(''In A Silent Way'')』、マクラフリンの名がタイトルで入っている『ビッチェズ・ブリュー(''Bitches Brew'')』、『オン・ザ・コーナー(''On The Corner'')』、『ビッグ・ファン(''Big Fun'')』、『ジャック・ジョンソン(''A Tribute to Jack Johnson'')』等にクレジットされている。マイルスはジャック・ジョンソンのライナーノート中でマクラフリンのプレイを「far in(奥深い)」と表現したように、彼を高く評価していた。
セッション・プレイヤーとしての評価も獲得し、ミロスラフ・ヴィトウスカーラ・ブレイウェイン・ショーターラリー・コリエル、ジョー・ファレルなどのアルバムに参加している。
1970年初頭にダグラス・レコード社から二作目のアルバム『ディボーション(''Devotion'')』を発表。三作目『マイ・ゴールズ・ビヨンド(''My Goal's Beyond'')』でインド音楽に傾倒した初期のスタイルを確立する。これには彼がこのときヒンドゥー教に改宗して、ヒンドゥー教の高名な指導者であるシュリ・チンモイ師の弟子となった事が大きく影響している。このアルバムはチンモイに捧げられ、ライナーノートには彼の作った詩が掲載されている。マクラフリンが初めて自分の名前に「マハヴィシュヌ」を付け加えたのもこのアルバムである。
マイルスの勧めもあり、1971年マクラフリンは自己バンドのマハヴィシュヌ・オーケストラを結成。初期メンバーはマクラフリンと、ジェリー・グッドマン(vl)、ヤン・ハマーkey)、リック・レアード(b)、ビリー・コブハムds)。アルバム『内に秘めた炎(''The Inner Mounting Flame'')』・『火の鳥(''Birds Of Fire'')』などの中で、彼らはジャズインド音楽ロック等を独特の高度なアンサンブルで融合させることにより大きな成功を収めた。一度の一時的解散(1973年)と幾度かのメンバーチェンジを経て、最終的には1975年にバンドは解散するが、彼らの成功はフュージョンというジャンルの発展に大きく貢献した。
マハヴィシュヌ・オーケストラの解散と前後して、マクラフリンはインド人音楽家たちと一緒にバンドシャクティを結成した。シャクティでの彼はシンプルなアコースティックギターを用い、ワールドミュージックのはしりとでもいうべきインド音楽をジャズでアレンジした演奏を行なう。欧米だけではなくインド国内などでも演奏活動を繰り広げて高い音楽的評価を受けたが、やや時代を先取りしすぎた感があり、商業的成功という意味では今ひとつ物足りなかった。
マクラフリンはヒンドゥー教の導師シュリ・チンモイ師に師事しており、同じく弟子入りしたラテン・ミュージシャンのカルロス・サンタナとは宗教上の兄弟弟子である。1973年には二人でコラボレーションアルバム『ラブ・デボーション・サレンダー(''Love Devotion Surrender'')』を発表し、ジョン・コルトレーンカバー曲などを収録した。
1979年、パコ・デ・ルシアラリー・コリエルと組んでトリオを結成する。1980年にはコリエルが去り、その代わりとしてアル・ディ・メオラが加入する(この二人はこのあともその時々の都合で入れ替わる。1981年の日本公演にやってきたのはコリエル)。どちらにしても、史上類を見ないビッグネームのトリオであることはまちがいない。この三人は1996年にも再結成され、レコーディングと世界ツアーを行っている。
1980年代終わりから1990年代の初め、彼はガットギターシンセサイザーを同調させた楽器を使い、パーカッション奏者のトリロク・グルトゥベース奏者のカイ・エクハルトドミニク・デ・ピアッツァと組んでツアーを行い、アルバム『''John Mclaughlin Trio Live''』、『''Que Alegria''』を発表。またロンドン交響楽団をバックにした『''地中海''』を発表するなど精力的に活動。そして1995年にはこれまでの活動を集大成した金字塔『''The Promise''』をリリースし、一時期彼に影響を受けたと言われるロックギタリストジェフ・ベックとの共演が話題となった。
1980年代には一時的にマハヴィシュヌ・オーケストラを再結成(ただし、彼以外は全員が新メンバー)してライヴ活動を行っている。この時の映像はDVDとして発売されており、彼はシンクラヴィアというシンセサイザーのギター型コントローラーを多用している様子を見ることができる。
近年ではエレクトリック・サウンドのハート・オブ・シングス・バンドの活動や、シャクティの元メンバーに新規加入メンバーを加えてリメンバー・シャクティとして活動した。2004年と2007年にエリック・クラプトン主催の、クロスロード・ギター・フェスティヴァルに参加。2007年には、ゲイリー・ハズバンドアドリアン・フェローマーク・モンデシールと共に、ジョン・マクラフリン&4thディメンションとしてワールドツアーを行った。2008年10月にはチック・コリア & ジョン・マクラフリン ファイヴ・ピース・バンドとしてワールドツアーを行い、2009年2月には来日公演をブルーノート東京で行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・マクラフリン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.