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フラメンコ : ミニ英和和英辞書
フラメンコ[らめ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラメ : [らめ]
  1. (fr:) (n) lame 2. (fr:) (n) lame

フラメンコ : ウィキペディア日本語版
フラメンコ[らめ]

フラメンコ(Flamenco)は、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっている。フラメンコの歴史と発展にはヒターノ(スペインジプシー)が重要な役割を果たしている。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられる。
== 歴史 ==

フラメンコの歴史には不明な点も多い。その祖型の成立は18世紀末と考えられているが、この時期にはまだフラメンコという名称は与えられていなかった。
この芸能の成立に大きな影響を与えたのはヒターノといわゆるモーロ人(ムーア人)、すなわちイベリア半島北アフリカに住んでいたイスラム教徒という、2つのエスニック・グループであった。この2つのエスニック・グループの協働が発生した理由として現在考えられているのは、イベリア半島におけるモリスコ(改宗イスラム教徒)追放令である。1499年カトリック両王によるモーロ人追放後も一部のイスラム教徒はキリスト教徒に改宗してイベリア半島に留まったが、1609年に改めてモリスコの追放令が出される。しかしモリスコの中にはヒターノのコミュニティに潜伏してなおもイベリア半島に留まる者が少なくなかった。この時期にアンダルシアのヒターノのコミュニティがモリスコの歌舞音曲を大胆に取り入れ、その結果として生まれたのが、現在フラメンコと呼ばれる芸能なのである。
フラメンコを生み出したヒターノのコミュニティにも低地(グラナダなど)のものと高地(ロンダなど)のものがあり、前者はヒターノの音楽であるロマンセの要素を、後者はファンダンゴの要素をフラメンコにもたらしたと考えられている。フラメンコ(フランドル地方の音楽という意味)という語が、今日知られる意味でのフラメンコに対して用いられるようになった時期は、文献から判断する限り19世紀半ばのことである。現在の意味におけるフラメンコという語の初出は1853年マドリードで行われた夜会についてのものであり、1860年ごろからはこの語がセビリアでも用いられるようになった〔志風 p.289〕。いずれにせよ、フラメンコの起源はアンダルシア地方、なかでもセビリアやカディス周辺のアンダルシア西部が本場とされている〔「スペイン音楽のたのしみ 気質、風土、歴史が織り成す多彩な世界への誘い」p56 濱田滋郎 音楽之友社(オルフェ・ライブラリー)2013年1月10日第1刷発行〕。
フラメンコが演奏される場は、当初は個人の家などプライベートな空間が中心であった。この時期にはギターが使用されることも少なく、手拍子や掛け声(ハレオ)による伴奏が主であった〔「スペイン音楽のたのしみ 気質、風土、歴史が織り成す多彩な世界への誘い」p55 濱田滋郎 音楽之友社(オルフェ・ライブラリー)2013年1月10日第1刷発行〕。こうした状況は、19世紀前半にカフェ・カンタンテと呼ばれる定期的にフラメンコが上演される飲食店が出現したことで大きく変容する。最初のカフェ・カンタンテは1842年にセビリアにできたとされるが、19世紀後半に入るとフラメンコの本場であるアンダルシア以外にも、マドリードバルセロナなどスペイン国内の各地にカフェ・カンタンテが出現し、フラメンコはアンダルシア地方の一民族音楽から大きく飛躍することとなった。またこの時期にはフラメンコの内容も大きく変容し、ギターがフラメンコの主流の楽器となったほか、それまでのヒターノたちの影響を強く受けたカンテ・ヒターノのほかに、元からのアンダルシア民謡がフラメンコの影響を受けたカンテ・アンダルースと呼ばれるもう一つの新しい流れが生まれた。そして各地にカフェ・カンタンテが出現したことから、芸能として確立されたフラメンコには優れた奏者が次々と現れ、フラメンコはより豊かで洗練されたものとなっていった〔「スペイン音楽のたのしみ 気質、風土、歴史が織り成す多彩な世界への誘い」p57-59 濱田滋郎 音楽之友社(オルフェ・ライブラリー)2013年1月10日第1刷発行〕。
カフェ・カンタンテは20世紀初頭には姿を消し、フラメンコも1920年から1950年ごろまでは低迷期を迎えるが、20世紀後半になると同様の飲食店であるタブラオが出現し、現在までフラメンコの上演の場の大きな部分を占めている。この時期からは劇場公演やフェスティバルもフラメンコ上演の重要な場となっていった。
一方、演じ手の方に目を向けると、20世紀後半にギター、カンテ、舞踊の各分野で技術革新を行う人物が次々に登場した。ギターの分野では1960年代末に登場したパコ・デ・ルシアが最も重要な革新者とされる。フラメンコの演奏家として出発したギタリストであるパコ・デ・ルシアがジャズやクラシック・ギターの要素を大胆に取り入れ、ギターの奏法に革命的な変化をもたらす。彼の奏法には賛否両論あるが、ビセンテ・アミーゴトマティートなどその系譜を嗣ぐ若手・中堅のギタリストは現在非常に多い。こうしたフラメンコは「フラメンコ・ヌエボ」(新フラメンコ)と呼ばれるようになり、近年ではニュー・フュージョンヒップホップ・ミュージックとフラメンコとの融合も盛んに行われている〔「世界の音楽大図鑑」ロバート・ジーグラー、スミソニアン協会監修 金澤正剛日本語版監修 p178 河出書房新社 2014年10月30日初版発行〕。カンテの分野ではパコ・デ・ルシアやトマティートとともに活動した男性歌手カマロン・デ・ラ・イスラが名高い。舞踊の分野ではアントニオ・ガデスホアキン・コルテスアントニオ・カナーレスファルーコなどの名が挙げられる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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