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パコ・デ・ルシア : ミニ英和和英辞書
パコ・デ・ルシア
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


パコ・デ・ルシア : ウィキペディア日本語版
パコ・デ・ルシア

パコ・デ・ルシアPaco de Lucía、本名Francisco Gustavo Sánchez Gómez、1947年12月21日 - 2014年2月25日)はスペインギタリストフラメンコジャズの分野で活躍した。"Paco"はFranciscoの一般的な愛称である。スペインではキリスト教の聖人の名前を子供に付けることが多く、同名が多くなり区別が困難になるため、母方の姓"Lucía"を付けて「ルシアおばさんのパコ」とした。
== 来歴 ==
スペイン、アンダルシア州カディス県の港町アルヘシーラスで生まれる。父や2人の兄もギターが弾け、パコもギターを習う。また、父の友人であるフラメンコ・ギタリスト、ニーニョ・リカルドサビーカスからも影響を受けた。パコは後年、アルバム『Siroco』(1987年)に、「ニーニョ・リカルドに捧げる」という曲を収録。
わずか12歳で、兄のペペ・デ・ルシアとのデュオで初レコーディングを経験。1964年から数年間、リカルド・モドレーゴまたは長兄ラモン・デ・アルヘシラスとのデュオで活動。
1967年、初のリーダー・アルバム『La Fabulosa Guitarra De Paco De Lucía』を発表。そのテクニックは日本でも知られることになるが、パコは楽譜の読み書きができず、ホセ・トレグロサが楽譜の作成を手伝い、共作者としてもクレジットされている。
1967年、カディス県サン・フェルナンド出身のカンタオール(フラメンコにおける唄い手)カマロン・デ・ラ・イスラとの初の共演アルバムを発表。1992年のカマロンの死まで共演は続き、フラメンコに大きな改革をもたらした。
1973年にリリースされた『Fuente Y Caudal(邦題・二筋の川)』のセールス的成功と、収録曲「二筋の川」がスペインのヒット・チャートで第1位となったことにより、スペインのみならず広くパコの名前は知られることとなる〔Top40-Charts.com Paco De Lucia〕。
1977年、フラメンコの分野で活躍してきたパコに転機が訪れた。元リターン・トゥ・フォーエヴァーフュージョン・ギタリスト、アル・ディ・メオラのアルバム『エレガント・ジプシー』に参加し、ジャズ/フュージョンのファンからも認知を得る。1979年には、ジョン・マクラフリンラリー・コリエルとの3人で、アコースティック・ギター3本だけのツアーを行う。その後ラリーに代わってアルが加入し、『Friday Night In San Francisco』(1981年)、『Passion, Grace & Fire』(1983年)を発表。この3人は、スーパー・ギター・トリオという愛称で親しまれ、1996年には再び活動を共にしている。
1990年には、チック・コリアがゲスト参加した『Zyryab』を発表。フラメンコの枠にとどまらぬ活躍を続けた。
2014年2月25日、滞在先のメキシコ心臓発作により死去〔フラメンコギターの巨匠、パコ・デ・ルシア氏が死去 CNN.co.jp 2015年12月28日閲覧。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「パコ・デ・ルシア」の詳細全文を読む




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