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アレクサンドル・ダルゴムイシスキー : ミニ英和和英辞書
アレクサンドル・ダルゴムイシスキー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アレクサンドル・ダルゴムイシスキー : ウィキペディア日本語版
アレクサンドル・ダルゴムイシスキー[ちょうおん]

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ダルゴムイシスキー(またはダルゴムィシスキーダルゴムイジスキーとも;、1813年2月14日 - 1869年1月17日ロシアオペラ作曲家。音楽史的にはグリンカと「ロシア五人組」やチャイコフスキーの間を橋渡しした人物である。ほかに、歌曲ピアノ曲をふんだんに作曲したほか、多少の管弦楽曲もある。ロシア語での発音では、アリクサーンドル・ダルガムィーシュスキイのようになる。
== 人物略歴 ==
名門貴族の家に生まれ〔森田(1996)pp.130-131〕、サンクトペテルブルクで教育を受ける。早くから才能あるアマチュアとして名声を博し、当初はサロン音楽の分野で有名であったが〔、1833年、ミハイル・グリンカに出会い、作曲に打ち込むよう激励を受けた〔グリンカはイタリアドイツで音楽を積極的に学ぶいっぽう、そのなかでロシア人音楽家を自覚するようになり、帰国してロシア的な作品の数々を発表し、後代に大きな影響をあたえた。森田(1996)p.130〕。ダルゴムイシスキーは、ロシア的な音楽の創造をめざすグリンカの影響で、意識的にロシア語イントネーションを音楽化する方法を研究し、その成果はかれの作曲した歌劇・オペラ作品に活かされた〔。
1839年ヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダムのせむし男』に基づく歌劇エスメラルダ》を作曲した。彼の代表作となる歌劇《ルサルカ》は1856年に上演された。ここでは、ロシア語を音楽化するという研究が実を結んでいる〔。しかし、1860年代まで国内外でなかなか成功しなかったといわれる。ただベルギーでは、彼の作品の評判は好意的なものであった。1860年代に作曲家として認知されると、いわゆる「ロシア五人組」の長老的存在となった。代表作となった最後の歌劇《石の客》は、レチタティーヴォ風ないしはデクラメーション風の旋律形成によって、ムソルグスキードビュッシーの先駆となっている。第1幕の幕切れとオーケストレーションが未完成のまま遺されたため、キュイリムスキー=コルサコフの手により補完された。《石の客》は1872年に初演され、オペラ表現に進歩的な姿勢を示すものとして、五人組から大いに激賞されたものの、未完のためもあって、こんにちオペラの標準的なレパートリーとして演奏されることはほとんどないのが実情である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレクサンドル・ダルゴムイシスキー」の詳細全文を読む




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