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アレクサンドル・チェレプニン : ミニ英和和英辞書
アレクサンドル・チェレプニン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アレクサンドル・チェレプニン : ウィキペディア日本語版
アレクサンドル・チェレプニン

アレクサンドル・ニコラエヴィチ・チェレプニン、Alexander Nikolayevich Tcherepnin、1899年1月20日 - 1977年9月29日)は、ロシア生まれの作曲家ピアニスト。父は同じく作曲家のニコライ・チェレプニン(1873-1945)、三男は作曲家・シンセサイザー開発者の(1943-1998)。''、Alexander Nikolayevich Tcherepnin1899年1月20日 - 1977年9月29日)は、ロシア生まれの作曲家ピアニスト。父は同じく作曲家のニコライ・チェレプニン(1873-1945)、三男は作曲家・シンセサイザー開発者の(1943-1998)。
== 生涯 ==
サンクトペテルブルクに生まれ、5歳で父から音楽を教わる。父がバレエ・リュスの指揮者だったおかげで多くの音楽家たちの薫陶を受ける。18歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学。
ロシア革命後の1918年、チェレプニン一家はグルジア経由でパリへ亡命。アレクサンドルは本格的に作曲家・ピアニストとしての活動を始め、モーリス・ラヴェルイーゴリ・ストラヴィンスキーフランス6人組などと親交を持つ。
1933年、チェレプニンは「自ら課している技法の定石」から脱却すべく民謡に目を向けるようになり、ロシア、グルジア、アルメニアアゼルバイジャンペルシャ民謡を採集した。そして彼は1934年から1937年にかけてアジアを訪問、中国及び日本で若手作曲家の指導と育成に当たる。日本では、早坂文雄伊福部昭らを指導し、「チェレプニン賞」を設立すると共に「チェレプニン・コレクション」として若手作曲家たちの作品を出版し、自らピアノで演奏した。伊福部昭には、「ナショナルである事こそがインターナショナルである」と指導し、この言葉が彼の作風の原点となった。
日中戦争が激化すると、妻となったピアニスト、ミン・リーシェンと共にパリへ戻るが、ヴィシー政権下では活動を制限された。第二次世界大戦終結後の1948年、チェレプニン一家はアメリカへ渡り、1958年に市民権を取得。1960年代にDGと契約し、いくつかの自作自演のレコードを出した。その後、チェレプニンはアメリカとフランスを往復する日々を送り、1977年9月29日、パリで波乱に満ちた生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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