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1760年の征服 : ミニ英和和英辞書
1760年の征服[1760ねんのせいふく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
征服 : [せいふく]
  1. (n,vs) conquest 2. subjugation 3. overcoming 
: [ふく]
  1. (n,n-suf) clothes 

1760年の征服 : ウィキペディア日本語版
1760年の征服[1760ねんのせいふく]
1760年の征服(英:conquest of 1760、仏:La conquete)は、フレンチ・インディアン戦争後の、フランス北アメリカヌーベルフランス、特にカナダケベック)のイギリスへの譲渡を意味する歴史用語である。
==イギリスの戦略==

1759年エイブラハム平原の戦いの後、フランス軍は一旦モントリオールに撤退し、翌1760年4月に、サントフォワの戦いでイギリスに勝利した。しかしイギリス軍は、城塞の裏側に陣取って包囲戦に出た。5月に、援軍であるイギリス海軍艦隊ケベックに入って来たため、フランス軍は再びモントリオールに撤退した。イギリス軍は、次はそのモントリオールに集結し、フランスはこの年の9月8日に、降伏文書に署名した。〔La chute de la Nouvelle-France - Quebec
かつてカナダを「何の値打ちもない何エーカーかの」と表現したヴォルテールはこう言った。〔Voltaire and Canada - Quebec 〕「何エーカーかの雪が、母国にとっては非常に高価な値打ちのものになってしまった、その雪は除去されてしまったのだから」〔
しかし、イギリスは、ヌーベルフランスの住民に対してはかなり寛容だった。彼らは国外追放虐待もされなかった。財産を持って、フランスに戻るのも可能だった。財産所有権も行使できた。イギリス系と同等に毛皮交易を行うこともでき、信教の自由もあった。〔Conquest - The Canadian Encyclopedia 〕この場合むしろイギリスへの同化策よりは、フランス系住民の上に立つ領主と、ローマ・カトリック司教の特権を認め、ケベックをイギリス側の味方に引きこんだ上で、アメリカ13植民地ににらみをきかせる基地とするほうが、イギリスにとっては戦略上有利であった。

しかし、イギリスのこの目論見は失敗した。アメリカの13植民地にとって、イギリスの軍事力はフランスへの抑止力であった。1774年ケベック法で、イギリスはカトリック教徒に譲歩してケベック植民地を拡大し、これがニューイングランドの、西部への進展を阻むことになった。それ以前から、イギリス本国の強圧的な態度に怒りを募らせていた植民地住民は、フランスの脅威が無くなったこの時こそ、晴れて本国に戦いを挑むことができ、それがアメリカ独立への引き金となったのである。〔〔木村和男編 『新版 世界各国史 23』 山川出版社、1999年、117‐118頁。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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