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酒井忠利 : ウィキペディア日本語版
酒井忠利[さかいただとし]

酒井 忠利(さかい ただとし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将大名徳川氏の家臣。駿河田中藩初代藩主。武蔵川越藩初代藩主。老中
== 生涯 ==
酒井正親の三男。徳川家康の再従弟にあたる。兄重忠と共に家康に仕え、小牧・長久手の戦いでは大いに戦功を立てた。天正18年(1590年)に家康が関東に移封されると、武蔵国川越に3,000石の所領を与えられた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠軍に属して信濃国上田城に立て籠もる西軍方の真田昌幸を攻めたが、成す術も無く大敗を喫した。
戦後、家康より7000石を加増され、合計1万石の大名として駿河田中藩に移された。慶長14年(1609年)、さらに1万石を加増され、合計2万石の大名として川越に戻された。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では江戸城の留守居役を務めた。その後もしばしば加増され、最終的には3万7000石を領する大名となった。
寛永4年(1627年)11月14日死去。享年69。





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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